本を読む

なぜ私は本を読むのか

現実逃避か
違う世界に行くためか

本を読むとは
文章を読む
言葉を読む
文字を読む

この二つの目で文字を認識し
言葉として
文章となり
物語となる

物語には人がいる
感情がある
温もりと冷たさがある

本を読む時
私の目の前には
本の中の人がいる

頭の中で動く
時にキスをする
時に別れる

感情が動く
本を読むことで
違う人になることができる
それは演者が
自分ではない誰かを演じるように

本を読むということは
演じることである

私もその人になる
記憶の中に閉じ込められた女になることもあるし
羊男になることでさえもできる

本を読む時
私は違う人になる
違う人を演じる
読み終わったあとに

本の中と違う世界だということに
困惑することも度々ある

時計を見ると
タイムスリップしたように
時計の針は進んでいる

本を読むということは
タイムスリップである

読んでる時間
違う世界で生き
帰ってくると

今がある
過去に行ったのか
未来に行ったのかは

今私が読む本に委ねられる

村上春樹を読んで
多数の女と寝ることもできる

森見登美彦を読んで
京都の町を闊歩することもできる

原田マハを読んで
ゴッホやゴーギャンになることもできる

誰になりたいのか
どこへ行きたいのか

自分ではない誰かに
ここではないどこかに


自分が
ここにいる
ということには
なんの根拠もないのだ

誰かの記憶という曖昧な箱に入れられただけで
ここに私がいるという記憶が消えてしまえば
私という存在はここにいなかったことになる

体という容れ物に私という思考が入っているだけで
体という容れ物がなくなってしまえば
それは死となり この世からはいなくなってしまう

本を読むということは
その容れ物に
自分以外の「ナニモノカ」を入れていく作業である

なぜ本を読むのか

それは
演じること
タイムスリップすること
それは
体という容れ物に自分以外の「ナニモノカ」を入れていく作業である

死して容れ物が焼かれてしまえば
演じることも
タイムスリップすることも
「ナニモノカ」も

焼かれてしまう

それでも
私は本を読む

ここではないどこかへ行くために


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