眠気がやって来ない日曜の夜にしていることと考えること

明日は月曜日、仕事がまた始まるというのに
久しぶりに頑固な覚醒感があって、眠気がまったくやって来てくれない。
まぁ明日は在宅勤務なので、多少寝坊しても最悪誤魔化せる。
もう1時間くらいはこうしていようか。

実は、メンタルをやられてしばらく仕事を休んでいた。
復帰して10日ほど。まるっと1週間勤務したのは先週が初めて。
なので、今週も5日普通に勤務できるか、実は結構どきどきしている。
その話はまた別に細かく書こうと思っている。

寝付けなくてPC触ってしまうのは悪手なのはわかっていつつ
ふと思い立って、数年来の懸案作業に思いつくまま、
それでいて思いついたことは忘れぬようその場でメモしつつ
手を付けている。
エンディングノートの作成だ。

2年半前に母が亡くなったとき、大したものが遺されたわけではなかったが
地味に、銀行口座探しなどに苦労した。
母は自分の病気のことは知っており、どれくらいシビアにとらえていたかはともかく、1年後同じ風景を見られないかもしれない、ということも口にすることもあった。
病気がわかった年の夏のこと。
実家に帰省した私に、ある日母は、銀行に行きたいから車を出してくれといった。もともとは自分で運転していた彼女も、抗がん剤治療のサイクルの中で体調が優れなかったり、ひとりで出かけることが不安なことがあったのだろう、私の運転で街中へと向かった。
母が指示した銀行は、普段の生活費を入れている、徒歩圏にもATMがある地元の銀行ではなく、とある信託銀行だった。そこに口座を持っていることは知っていた。何でもないときに引き出しに行くかな、という疑問もありつつ、暑い中ひとりで行かせるのも不安で、車を降りてATMまで付き添った。
すると母は窓口に用事があるという。お金のことを話すときには、首を突っ込まない、盗み見しない、と教えられて育った私は、空いたロビーで座って待つことにした。
あまり時間が経たないうちに母に呼ばれた。窓口に一緒に?と訝しく思いつつ窓口へ行くと、おそらく記帳した通帳となにかしら記念品をもらった後のようだった。「いつもお世話になっているの」と窓口の方を紹介してくれたが、担当者、というわけではなさそうだった。それほどの額を預けているとも思えなかった。

涼しい銀行のロビーから蒸し暑い屋外へ出て、駐車場へ足を向けると
「一番大きいのはここだからね」
そう母が言った。え? と聞き返すと
「私の預金。まとまったのはここ。あとは〇〇銀行に投資信託。あとはちょっとしたのばっかり」

母が亡くなった直後、財布はあってもキャッシュカードの暗証番号がまったくわからず、どこかに書き残しているはず、と思いつつ、印鑑もろともしまい込まれてしまって見つけられなかった。
結局、このとき母が伝えてくれたことがヒントになって、通帳も印鑑も見つからないままその信託銀行に連絡を取り、戸籍謄本などを揃えて依頼、残高照会から名義変更(父へ変更した)することができた。

数か月後、さんざん探したと思っていた引き出しから
印鑑とそのまま書かれていない暗証番号のヒントをメモした紙が入った
小さなポーチが見つかった。
やっぱり、覚悟していたんだな。
でもなんで見つからなかったんだろ、その引出しさんざん見たはずなのに。
預金口座のことも、せっかくなら耳揃えてここにしまうよ、って伝えてくれてもよかったのに、なんであんな何気なく口頭で伝えたんだろう。

そう思ってたけど。
その手のことを改めて伝えてしまうと、長く生きられないと思っていたんだろうな、とも思う。改めて口にしてしまわないことで、願掛けみたいな気持ちだったのかもな。少しでも長く生きなければという。

古い時代の人だし、不動産はなかったから、今思えばそれほど手続きは大変ではなかった、というべきだろう。ただ、自分のことを考えると、大したお金はないけれど、どちらかというと後始末的なものにすごく手間がかかると思う。
例えば、今時のサブスクもの。オンラインストレージ。月額いくら、というタイプの契約をどことどれだけしているのか、自分でもとっさにすべて説明できないくらいあれこれある。だから、一覧にしておかないと。保険証書とか、一方で推しのオフィシャルサイトのIDとパスワードとか。何で決済しているのか、とか。自動更新のやつが一番ヤバい。

っていうか、スマホのパスコード、わからないと結構詰むよね。

ひとりで死ぬこと自体は怖くないんだけど
後片付けは誰かにお願いしなければならないわけで。
簡単じゃないけど、せめてとっかかりになる情報はまとめておこう。

今夜はそろそろPC閉じますかね。
おやすみなさい。

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