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野生の勘 うれしいニュースと悲しい報せ

数日前、なぜか急に脳裏をよぎった古い知り合い。元気でいるかな、と思って何気なくLINEを送ってみた。そうしたら、近々入籍すると言う。あたし、野生の勘が働いた? 我ながら驚くやらうれしいやら。
近々会えるといいなぁ、近くにはいるのだけれど、彼女はそんなわけで忙しくしているようだから。

入籍直近の彼女と共通の友人がいて、その友人に関する、あまりにも悲しい報せを聞いた。「私から伝えていいかわからないけれど」と言いつつも伝えてくれたそれは、飲み込むのを躊躇う重たい報せだった。
そういうとき、私は何をどうしたらいいかわからなくなる。自分が他人(友人、家族であっても)に対して、割と冷淡である自覚はあるけど、自分もそうだから、あまり踏み込んでほしくないタイミングもある。でも、その友人は自分にとってとても特別な人で。なかなか会えないけど、存在してくれることで自分が励まされるような人だから、今彼女の痛みや辛さを何か和らげることはできないかと、眠れぬ頭で考えた。

結局翌朝、ベタな嘘を交えたLINEを送った。
何も知らない体で送ったご機嫌伺い的なメッセージに、比較的すぐに返事が来た。本人から伝えられたその報せ。私に伝えることで彼女の痛みを増やしてしまわなかっただろうか。
今すぐ会って話を聞きたい、支えたい。それはエゴだとわかっていたけど、そのまま彼女に伝えた。そういう衝動的な行動が普段できない自分だけど、そこを巧妙に避けるやりとりはできなかった。

今はひとりでもう少しやれることをやりたい。
一段落したら会おう。そのときは胸をかしてね。
本音を伝えてくれてうれしかった。あなたに話したかったんだな。

そんな返事が来た。
きっと、ひとりでちゃんとやり切りたいのだろう。そう言う人だ。その言葉を聞いたら、変な焦りは薄れた。彼女が欲しいタイミングで手を差し出してくれたら、そのときにはすぐその手を取る。その準備をしていればいい。大変だろうに、私のわがままを受け止めて率直に答えてくれた彼女の大きさに、なぜか私が救われていた。

簡単なことではない。
けれど、少しでも痛みの伴う夜が少なくなるように。感情を堪えずたまに緩めて涙を流す時間を持てているように。今はただ願うだけだ。
そのときが来たら会いに行くよ。連絡してね。


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