「拝む」ことが大事
はじめに
色々なSNSを渡り歩き、今回はnoteを使うことにします。
私は奈良にある小さなお寺の三代目。色々な人と向き合い、色々な人を見送り、今に至ります。
ここでは実際に手を合わせ、法華経を信仰するのに必要なものをツラツラ書いていこうと思います。
なにより大事なこと
なにより大切なことは「感謝する」です。
あなたは一人でこの世に産み落とされたわけでもなく、自然の恵みがなければ育つことができません。
科学的には遺伝子と言うそうですが、その染色体が一つ違ってもあなたはこの世に存在できていないのです。
ヒトという種族が誕生してから現在まで種を守り繁栄させてきたからこそ、あなたが存在するのです。
まず自分がこの世に存在していることを「感謝」しましょう。それが第一歩です。でもそれが難しい。
この世は苦しく辛い
なぜ感謝できないのでしょう?日々の生活に追われて忙しいから?今の人生に満足してるから?
いいえ
この世の中は、善いことも悪いこともあり、全部がはっきりと線引きされてるわけでもない。ドロドロとしたモノにまみれていつの間にか子供の頃の正義感とか使命感を捨ててしまう。火に包まれた家の中で煙に巻かれるように自分の姿を見失うのがこの世の中なのです。若い人なりに表すと「サイテーじゃん」になるんでしょう。
救いの手
そんな最低で辛い世の中で生きている我々を救ってくださる存在があります。それが「仏」です。「おしゃかさま」でも一緒です。
お釈迦様は、この世に存在する全てを私が救いましょう。あなた達は私の子供も同然です。そしてあなた達を教え導きましょうと宣言なされました。
お釈迦様の前では、
悲しければ、痛ければ泣いていいのです。
疲れたら抱きついて眠ればよいのです。
怒ったり、拗ねたりすれば、聞いてもらえばよいのです。
寂しければ手を握って貰えばよいのです。
迷えば手を引いてもらえばよいのです。
頭を撫でて褒めてもらえばよいのです。
我々には全生命体共通の慈悲深い親が永遠にあり続けてくれるのです。
拝むということ
そんな親と触れ合うのに唯一の方法が「拝む」ことなのです。拝むとは神仏などに手を合わせ頭を下げて祈ることです。
この真っ当に生きるのが難しい、辛いことや悲しいことが立て続けに起こる世の中を生きる上で自分を救ってくださる存在に手を合わせて頭を下げて祈ることが大切なんです。
難しいお経の勉強や檀家にならないと始められないなんて事はありません。
お釈迦様、神仏、佛、、、これらを実際におられると信じる事です。絶対に信じなさいとは言いません。真剣に考えて悩んで、でもおられると信じられない。科学的に証明できないことは信じられない。そういう方もおられます。
そんな方は、また来世か来々世でお会いしましょう。次の世では楽しくお話できることを願います。
拝む方法の一つ「法華経」
私は法華宗の僧侶ですから、お釈迦さま、仏様とつながるためにお釈迦様が説かれた法華経を信じ読経し、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈り、皆様が幸せに生きていけるよう願います。なので私は法華が一番だと思ってますので、皆さんにも主に法華経に書かれている教えを紐解きます。
法華で一緒に信仰したい。拝みたい。そんな人たちと楽しく過ごしていけたらこのnoteを続けるモチベーションにつながるでしょうか。
おわりに
ここは法華のお坊さんが、みんなと一緒に手を合わせ、仏道修行をゆるゆると進んでいく、そんなところです。法論や貶し合い、討論はする気がないのでスルーします。他所でどうぞ励んでください。
以後、どうぞお見知りおきをよろしくお願いいたします。