隣人に平和とあめちゃんを。
こんにちは。
クマノブツコです。
心、痛くないですか?
毎日、朝起きるたびに知るニュース。
ブツコは周りから影響を受けやすいので、情報をたくさん自分の中に入れることは自分自身にとってあまりいい影響はありません。
それでも、見て見ぬふりをしていてもいいのか
悩ましいところです。
公園での出会い
息子と公園で砂遊び。
知らないおっちゃんが声をかけてくれる。
両両親ともに遠く離れて暮らすブツコにとって、
ワンオペで、ただひたすら子供と二人で向き合う暮らしに現れた見知らぬ人は救いの神のようでもありました。
もちろん、犯罪に巻き込もうとする人も中には居るため
簡単に心を許すのも不用心ではありますが。
電車の模型を手渡してくれたおっちゃん。
うちの家にはない、高価な電車に
息子は嬉しそうに夢中になって遊んでいました。
「おっちゃんに『ありがとう』っていって返そうね」
そう息子に促したのですが、
おっちゃんは「あげるよ、この子、めっちゃ気に入ってるやんか」とそのまま電車をくれました。
「いっぱいこんなん、家にあるねん」
そう言っておっちゃんはその場を去りました。
その後、近い場所ではあるものの引っ越しをしたので
おっちゃんと再び会うことはありませんでした。
おっちゃん、ありがとう
今でも時折、電車を出してきては遊んでいます。
遊びすぎて、車輪がとれたり壊れたりもしたけど、大切な宝物。
親しみやすさと孤立化と
私の亡くなった祖母もですが、
それが旅の途中の全くの見知らぬ人だろうが何だろうが、小さな子を見ては声を掛けることが「常」にあったように思います。
今では、近所づきあいですら希薄になり
登校する小学生におはようと声を掛けると不審者だと言われる始末。
登録する防犯メールに「知らない人から声を掛けられた」と注意喚起の文章が多いこと。
もちろん、犯罪目的で近づく人だって中にはいますが、
子育てもひと段落し、また地域の見守りのために声を掛けてくれる人だっているんです。
なんだか悲しい。
ある時、電車を見に行った帰りだったでしょうか、
信号待ちでこれまた見知らぬおっちゃんが
「ほい、これあげる」
とチョコレートのお菓子をくれました。
一瞬、突然のことに警戒感マックスになったブツコ。
しかしおっちゃんは「パチンコで勝ったんや」と息子にお菓子を手渡し颯爽と去っていきました。
かっこよすぎるだろ、おっちゃん。
こんな風にブツコの住む街では、気軽に声を掛けてくれる人がいる一方で、コロナ禍でもあり、また子供を狙う犯罪もあってか
人と人との間におおきな河が流れているように感じます。
もう溝ではないくらい、大きな隔たりです。
その人となりを知ることを辞めると、人って孤立してしまうんですよ。
コロナ禍で嫌ってほど思い知ったのに、それでも今は面と向かってコミュニケーションを取ることに身構えてしまう、
それって寂しいですね。
飴ちゃんをあげる文化
ブツコは、今住んでいる街の出身ではありません。
だからこそ、初めてその場に居合わせた時は驚きとやさしさで心が満たされました。
すごく簡単で、人とひとときでも仲良くなるための行為。
知らない人から物をもらってはダメ
ついていってはダメ
そんな風にブツコも子供たちに教えてはいますが、一方でほんのひとときを笑顔で共有する、そんな時間が減っているのが悲しくもあります。
飴ちゃん1つで、落ち込んでいたり怒っていたり、そんな気分が和らぐならどんどん飴ちゃんはあげてほしい。
もちろん、虫歯になるからとかそんな風に子供にはあげたくないと思っている親御さんも中にはいるとは思います。
でも、笑顔でいてほしい
前を向いて進んでほしい
そんな思いも飴ちゃん1つに込められていること
それを忘れないでほしい。
地球の、ずっと西側で起こっていること。
家では子供たちが楽しそうに遊んでいる。
一方で恐怖におびえ、眠れずに過ごす子供がいること。
きれいな水が、
寝心地のいい布団が、
一緒にいてくれるはずの家族がいない、
心が痛い。
何ができるんだろう。
毎日考えます。
ねえ、もしかして
こんな風に飴ちゃんをもらったことがなかったのかな。
人にやさしくする方法を教えてもらわなかったのかな。
やさしさを知らないせいなのか。
遠く離れたこの場所で
ブツコにできることは
近くにいる人に、それをきちんと教えること。
自分の周りを平和に。
そしてそれをまたその周りに。
悲しい思いをする人が
一人でもいなくなるように。
みんなが笑顔で過ごせるように。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
あなたにも、笑顔が笑(さき)ますように。
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