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ゆとりのゲーム感想「スパイvsスパイ(FC)」


【はじめに】

【ハード】ファミリーコンピューター
【メーカー】コトブキシステム(KEMCO)
【発売日】1986/04/26
【購入日】2022/12/31
【初クリア日】2024/11/05
【定価】4900円(税抜)
【購入価格】600円?(中古)
【初クリアまでの時間】1時間くらい?

だーかーらーっ!!!!

ファミコンは!!

必ず!!

毎年!!

1本は!!

やれよ!!!!

はぁ…これは自分への叱咤でもあり、あの崇高なる遊戯、ファミリーコンピューターへの贖罪のようなものだ。レトロゲームの世界に足を踏み入れて、10数年。今では最新作のゲームもすまし顔でプレイするようになってもなお、あの赤白の箱が語りかけてくる。

「お前、俺を忘れてないか?」

そうだ、忘れるわけにはいかないのだ。ファミコンをやる。それは一種の義務であり、儀式であり、私にとってのライフワークなのである。そうか?そうしないとダメなんだ。なぜ?分からん。

さて、何を遊ぶか。長編大作の冒険に飛び込むほどの気力は無いし、理不尽な難易度に耐え抜くような忍耐力も、昔と比べるとだいぶ磨り減ってきた気がする。何より、手元の時間も限られている。そんな気分で、ふと本棚の奥から引っ張り出したカセットを物色してみる。いくつものタイトルが並ぶ中、私の目を引いたのは――

そう、「スパイvsスパイ」だった。

あぁ、このタイトル。中学生の頃、やたら気になっていた記憶が蘇る。あの頃は3DSのバーチャルコンソールで出てくれないかと期待しては、肩を落とす日々だった。結局、大学生になってようやく手に入れたものの、何の因果かそのまま放置してしまったのだ。起動すらさせずに、ほこりをかぶっていたあのカセット。だが、今こそその封印を解く時だろう。あの頃の自分に報いるためにも。

ファミリーコンピューター用ソフト
「スパイvsスパイ」

パッケージを眺める。モノクロのスパイが対峙し、背中合わせで不敵な笑みを浮かべている、あの独特のイラスト。そして右上には「KEMCO」の文字。これだ。このロゴには脳をかすめとったような僅かな記憶がある。このKEMCOというブランドは、ファミコンの歴史を語る上で外せない存在だ。ありとあらゆる角度から謎ゲーを持ってくるKEMCOはまさにファミコンのブラックボックス。奇ゲー謎ゲーが多いファミコンだが、中でもKEMCOのゲームは異彩を放っているように感じる。

そんなわけで私は、「スパイvsスパイ」を起動することを決めた。過去の自分への贖罪と現在の自分への挑戦を兼ねて。そしてまた、ファミコンの偉大さを思い出すために。やれやれ何だか重苦しい話になってきたな。

【ゲーム概要】

「スパイvsスパイ」は1986年にコトブキシステムから発売されたファミリーコンピューター用ゲーム。全8レベル。

パッケージに書いてあるキャラクターはゲームオリジナル、ではなく同名の海外のコミック作品のキャラクター。要はこのゲームはキャラゲーである。

しかし、こんなキャラクターみたことない、という人も多いだろう。それもそのはずで実は海外で有名なコミックであり、開発会社もファーストスターソフトウェアという海外の会社である。したがって、これはコトブキシステム及びKEMCOの作品ではないというわけ。ファミコン時代のKEMCOは本当に移植だらけだな。

ストーリーはこんな感じである。

ゲーム界の大元帥“ジンテンドウ”が新型ディスクシステムの開発に成功した。ライバル関係にあるゲームメーカーのケムコとトムコは、それぞれヘッケル、ジャッケルをスパイとして送り込んだ。“ジンテンドウ”の建物内部で、有効にワナを仕掛けて、相手を苦しめ、一刻も早く設計図・パスポート・お金・カギをみつけ、カバンに詰めて脱出せよ!

説明書より

うーむ、時代を感じる。1986年というとディスクシステムが発表された年であるので、ディスクシステムの発表がいかにゲーム界を震撼させたのかがこのゲームのあらすじからも読み取れるだろう。しかし、海外のゲームなのに、めちゃくちゃ日本っぽいな〜と思った人、大正解。実はこれ、日本に移植された際に後付けで追加されたものであった。本家ではこんなストーリーは存在しないのである。

ゲームの目標は単純明快。建物内に散らばる5つのアイテム(設計図、鍵、パスポート、お金、かばん)を集め、制限時間内に脱出すること。アイテムを揃えたプレイヤーがセスナ機に乗り込むことに成功すれば勝利、一方のスパイは無念の自爆を遂げる。勝利の鍵を握るのは、アイテム収集の効率性と相手スパイへの妨害行為だ。

プレイ画面

このゲーム最大の特徴は、設置型の罠を駆使した妨害プレイにある。爆弾や毒ガスなど、4種類の罠をうまく使いこなすことで相手の行動を阻むことが可能だ。一方で、防御アイテムも用意されており、罠を回避する術も存在する。例えば、毒ガスを仕掛けられた部屋からは3秒以内に脱出すればダメージを回避できるし、硫酸攻撃は傘で防げる。

ただし、罠に引っかかれば、30秒のタイムペナルティが課されるうえ、集めたアイテムはすべて元の場所に戻される。このリスクを踏まえると、罠の仕掛け方や配置場所を計算する心理戦が勝敗を大きく左右することがわかるだろう。

同じ部屋にスパイが二人入り込むと、そこからは直接対決の殴り合いが始まる。素手での戦いも可能だが、ナイフや棍棒を持っていれば攻撃力が増し、戦闘を有利に進められる。罠で一発で死ぬのに対して、ナイフや棍棒で殴りあっても無事なのは、少々納得はいかんが。

同じ部屋に鉢合わせになると
戦闘モードになる

しかし、このゲーム、かなり心理戦がアツイ。画面分割なので、すぐに目をズラせば、相手の行動なぞ丸わかりなのだが、慣れていないうちはそんな余裕なんて無い。相手の行動を読み、次の一手を予測しながら罠を仕掛ける。この心理戦の深さが、「スパイvsスパイ」をただのキャラゲーではない、特別な存在へと昇華させている。例えば、アイテムが配置される場所に先回りして罠を仕掛ける、相手をおびき寄せるような動きをするなど、あらゆる手段を尽くして相手を出し抜く快感は、このゲームの醍醐味といえるだろう。

ゲーム概要は以上。

【感想】


この「スパイvsスパイ」は、ファミコン中期の作品としては驚くほど完成度の高いゲーム性を持っている。シンプルながらも緻密な心理戦が楽しめるこのゲームは、当時の作品群の中でも際立った存在だ。相手を罠に嵌めるためにどう行動すべきか、どこに罠を設置するべきか。これらを考える過程が極めて奥深く、現代のゲームと比較しても遜色ない競技性を感じさせる。

このゲームの醍醐味は、やはり、相手との読み合いにあるだろう。プレイヤーは罠を設置し、それをどう活用して相手の行動を封じるかを常に考えなければならない。罠を仕掛けた部屋に誘導するにはどのルートを通るべきか。相手がこちらの罠を察知した場合、どう対策を講じるか。こうした駆け引きが、この作品における最大の魅力だと言える。敵の動きを読む緊張感、罠が成功したときの快感、それらが融合して一種の戦略ゲームとしての楽しさを生み出している。

しかし、このゲームには致命的な問題がある。プレイ開始からわずか1時間で、それを痛感した。その欠陥とは、

COMがもうむっっっちゃくっっっちゃアホなんだよォォォ!!!!!!!!

もうね、アホかとバカかと。COMが驚くほどアホすぎる。具体的には、自分で仕掛けた罠に何度も引っかかるという信じられない行動だ。プレイヤーが仕掛けた罠に引っかかるだけならまだしも、COM自身が設置した罠に自ら戻り、自滅する姿には空いた口がふさがらなかった。

例を挙げると、部屋に罠を仕掛けた後、一旦その部屋を出たと思いきや、まるで何かを思い出したかのように再びその部屋に戻る。そして、自分で設置した罠に堂々と引っかかるのである。まるで記憶力を失った鶏のような動きには、笑いや怒りを通り越して悲しみすら覚えるほどだった。こちらとの対戦を放棄しているのか?と疑いたくなるまでだ。

ファミコン時代のゲームにおいて、COMの挙動がプレイヤーにとって救済措置として機能することは珍しくない。それはゲームの難易度を適切なレベルに保ち、初心者でも楽しめるようにするための配慮である。しかし、この「スパイvsスパイ」では、その配慮が完全に裏目に出ている。

このゲームは、対戦相手との性能差が一切存在しない。格闘ゲームのようにキャラクター性能に差があるわけでもなく、運の要素もほぼ排除されている。単純にプレイヤーと相手の実力が勝敗を決める。そのため、ゲームの構造を理解してしまうと、すぐにハメ技の存在に気づき、いともたやすく勝利することができてしまうのだ。

ハメ技の発見は、このゲームにおける心理戦の楽しさを一瞬で台無しにする。相手のリスポーン地点の隣の部屋に罠を設置し、ひたすら待つ。この行動を繰り返すだけで、相手は何度でも同じ罠に引っかかる。そして持ち時間が尽きると、相手は完全に操作不能となり、プレイヤーは自由に行動できる時間を手に入れる。この段階に達すると、相手の罠を警戒する必要もなくなり、アイテムを悠々と収集して脱出するだけの作業ゲームと化してしまう。何度も何度も同じ手口で引っかかり天に召される相手を見てると、「早く殺してくれ、楽にしてくれ」という訴えにすら見えてしまった。ファミコンの軽いピコピコ音がどこか哀愁を感じさせてくれるのだ。

罠を踏んでやられてしまった相手
どこか悲しい目をしているような気がする

この一連の過程に気づいたとき、私は愕然とした。これほどまでに緻密なゲーム性を備えながら、COMの低性能がすべてを台無しにしている。もしもCOMがもう少し賢ければ、プレイヤーはさらなる読み合いや駆け引きを楽しめたはずだ。しかし、現実はそうではなかった。

「このゲームの巧みな設計を、COMはまったく理解してくれないのだ」という感覚は、一種の悲しみを伴う。ゲームとしてはほぼ完成されているのに、それを体現するはずの対戦相手がこの有様では、プレイヤーとしての達成感が得られない。開発者が込めたであろう意図が、COMのアホさゆえに伝わらないのは、非常にもったいないと言わざるを得ない。

さらに、音楽やグラフィックの質も、この作品の評価を下げる要因となっている。音楽は単調で記憶に残らず、グラフィックも当時の他作品と比較して特筆すべき点はない。それどころか、UIの分かりにくさがゲーム体験を大いに損ねている。特に、初心者向けに用意されたトレーニングモードにおいても、説明書を読まなければ基本的なルールすら理解できない仕様には呆れた。一見すると難しいように感じるゲーム画面を最初に見てしまうことが、このゲームへの入り口を狭めてしまっている。

このゲームを最大限に楽しむためには、間違いなく友人が必要となるだろう。ただし、ただの友達ではない。本作の構造を深く理解し、その魅力を肯定的に受け止められる――そんな優しくも賢明な友達だ。だが、ここで思わず叫びたくなる。


そんな奴、この令和の時代にいねぇよ!!!!!!



古臭いグラフィック、褒める余地の少ないサウンド。このゲームを現代において他人に勧めるのは至難の業だ。ゲーム性だけで勝負している本作は、派手さや手軽さといった現代的な魅力には欠ける。あぁ、難しい。キツすぎるぜ…このゲームの美しさや精巧さを理解してもらうための材料が、あまりに少なすぎるのだ。はぁ…

その上で問題となるのは、自分自身の現実だ。そもそも私は友達が少ないのだ。人に声をかけ、このゲームを一緒にプレイしてもらうハードルの高さを考えると、私にはそのチャンスすら訪れそうにない。そして、1人でプレイしているうちに気づいてしまった。このゲームは、友達のいない私のコンプレックスをさらにえぐってくるのだ。

うわぁ、私には友達がいない!いないんだ!誰も理解してくれない!!!と、このゲームを通じて改めて再確認させられる始末。まさに自虐的なループである。本作が持つ心理戦の巧妙さを語る相手がいないどころか、それを楽しむための仲間すらいないという事実に、ますます自分の孤独を感じてしまう。

こうした状況を経て、ふと頭をよぎるのは「このゲームは一体誰のために作られたのか?」という問いだ。1人プレイではCOMのアホさが目につき、友人とプレイしようにもその相手が見つからない。結果として、この作品が本来持つ魅力は選ばれた人間にのみ与えられる特権として閉じた空間に埋もれてしまうのだ。その惜しさたるや、言葉にするのも虚しいくらいである。

感想は以上。

【まとめ】


1時間は楽しませて貰った上であえて言おう。
何だこのゲーム!一体このゲームを心の底から楽しめた人は何人いるんだ。本作を思い出の一本としている方がいたら、私はその人を心底羨ましく思う。ゲームの構造を明瞭に理解し、かつ同じような仲間と巡り会えている、もしくは本作の魅力を巧みな技で他人に伝えることができる頭脳明晰な人間…その才能、もっと他に活かせよ!!とは言ってはいけないな。はぁ…





(本作をプレイするには実機でプレイするしか無いようだ。気になった方は是非プレイして欲しい)


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