【2/2】429番のリップスティック
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帰路の途中、電車に揺られながら私は決意した。できることからはじめよう。毎朝鏡の前で自分の顔を嘆いているだけの女は、絶対に美しくなんてならない。自分の顔を、そして自分自身を好きになれるように、努力をしよう。あの後輩のように、私も「美人」になりたい。
まずは何からはじめようか。考えて最初に脳裏に浮かんだのは、あの子の綺麗な唇だった。私は自宅の最寄り駅から二つ手前の少し大きな駅で電車を降りた。その駅には直結しているルミネがある。そこに行けば自分に合ったリップが見つかるかもしれない。
駅から直通の入り口はルミネの3階に繋がっている。3階にはCHANELやDiorなど私でも名前を知っているようなブランドものの化粧品が売られているお店があった。ここなら種類も豊富だし自分に合うものが見つかるかもしれないと思ったが、お店の雰囲気に気後れし目の前を通り過ぎることしかできなかった。
そんな自分にため息をつきながら、何気なくエスカレーターに乗った。どうしてデパートのエスカレーターは鏡に囲まれているのだろう。華やかさの欠片もない自分を見てまたため息をついたが、ここで負けたくはない。再び決意を固めながらグルグルとエスカレーターを上っていたら最上階の8階まで来てしまった。この階は飲食店ばかりで目的のものは見つからない。
1つ階を下ると大きな無印良品があった。とりあえずその階を歩いてみると、美容室の斜め向かいにTHE BODY SHOPという看板が見えた。あまり広くはないが化粧品が売られているようだ。先ほどのお店よりは気軽に入れそう。少し緊張しながらお店に足を踏み入れると、心地よい香りに包まれた。
お店の真ん中にある洗面台で、別のお客さんが商品を試しているらしい。その光景を横目に奥にある化粧品コーナーへと向かう。一口にリップと言っても色々な種類があるようだ。何がどう違うのか分からず途方に暮れていると、女性の店員さんが声をかけてくれた。彼女もまた自身の雰囲気によく似合ったリップを付けている。私よりいくらか若く見える彼女はとてもわかりやすく、そしてとても楽しそうに商品の説明をしてくれた。
この人はこの仕事が好きなんだなというのが伝わってきて、緊張していた気持ちがほぐれていく。綺麗な唇で生き生きと仕事をする彼女は美しく、この人に私の色を選んでほしいと思った。その気持ちを伝えると、彼女は任せてくださいと言って嬉しそうに笑ってくれた。
どういう時に塗るリップですかとか、普段どういう服を着ますかとか、そういった質問にいくつか答えた後、彼女は商品が陳列している棚から1本のリップスティックを手に取った。少し暗いエンジ色のリップである。
「こちらのお色を試しに塗らせていただいてもよろしいですか。」
そう聞かれたが、内心かなり驚いていた。こんな大人っぽい色が自分に似合う訳ない。しかしこんなに親身に話を聞いてくれた店員さんの勧めを断ることはできず、試し塗りしてもらうことにした。リップ用のブラシが存在することにも驚いたが、何よりもその色が自分に似合ったことに驚いた。
「気に入らなかったですか?」
びっくりして固まっていると、店員さんが不安そうに尋ねてきた。
「いや、あの、逆です。すごく良くて、びっくりしています。こんな素敵な色、自分に似合うと思わなかったから。」
正直な気持ちを告げると、店員さんは可愛らしいドヤ顔を見せてくれた。
「お姉さん色が白いし知的で大人っぽい雰囲気だから絶対に似合うと思ったんです。とても素敵ですよ。」
もしかしたらこれは商品を売るためのお世辞なのかもしれない。けれど彼女の綺麗な唇が嘘を付いているようには思えなくて、私はこの言葉を素直に受け取ることにした。
「そんな風に言ってもらえて本当に嬉しいです。このリップ頂いても良いですか?」
「もちろんです、ありがとうございます!」
店員さんの素敵な笑顔に送り出されてお店を後にした。7階から3階までエスカレーターを下ったが、両サイドにある鏡を見て広角が上がってしまう。少しだけ自分の顔が華やかになった気がして、少しだけ自分の顔が好きになれたような気がした。そういえばこの色は何ていう名前なんだろう。袋から商品を出してリップの底を見ると「429 OSAKA PLUM MATTE」と書かれていた。
ヘアバンドで髪の毛を固定し、顔を洗う。水滴を拭いながら、鏡に映った顔を見て気合いを入れる。自分の顔を見てため息をつくのはもうやめた。美しい人になるために、自分を好きになるために、まだまだできることはたくさんある。何の努力もせずにないものねだりをしている女は美しくないから。次に好きな人ができた時、言い訳を積み重ねて逃げるのは絶対に嫌だから。
しっかりと化粧をし、仕上げに429番のリップを塗る。きっと今日は、何か良いことが起きる気がする。