月と六文銭・第十九章(19・了)
鄭衛桑間:鄭と衛は春秋時代の王朝の名。両国の音楽は淫らなものであったため、国が滅んだとされている。桑間は衛の濮水のほとりの地名のこと。殷の紂王の作った淫靡な音楽のことも指す。
銀座のホステス・喜美香は武田をお目覚で起こし、充実した朝を迎えていた。
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縁起を担ぐ社長がいかに多いかに、サラリーマンは笑うかもしれないが、経営者たるもの、自分の身がすべてだから、縁起の悪いモノには触れない・関わらないのは当然、そんなところにお金をばらまいているのは家業が傾く原因になると考えられた。
もちろん、ライバル店の口撃材料として4階の四は「四=死」で不吉、「社長の商売が傾いたらどうするんですか?」と縁起を担ぐ中小企業経営者の洗脳に使われた。
同様に9階も望ましくないとされているが、9=苦、苦しむから苦界あるいは公界に通じるという解釈もあった。こちらは遊女の世界ということで、これまたあまり良いイメージではないとされた。
フォース・フロアが急回復を遂げたのは、ママの太客の一人がジョージ・ルーカスと知り合いで彼が作り出した「スター・ウォーズ」の世界につなげてフォース(4th=4番目)をフォース(force=力)にしたらどうかと提案され、店名を改めてからだ。
スター・ウォーズの世界にどっぷりではなく、上品な黒を基調としたインテリアや置物などをさりげなくスター・ウォーズの世界になぞらえてみたのだ。
ママのきめ細かいサービスと機転で店は軌道に乗り、質の良いホステスを抱える良店として現在も安定した人気だ。今では伝統ある「3大クラブ」の次のランクに入っていた。
武田はママがまだホステスをしていた別のクラブの時からの客だった。ママに信頼されているからこそ、やたらと態度がデカいとか、ホステスをぞんざいに扱うなどということしないし出来ないという緊張関係にあった。武田はきれいに遊ぶ客として、ママにもホステスにも喜ばれたが、余計なお金は落とさないものの、かといってケチでもなかった。
足が遠のいた時期にレースクィーンの板垣陽子と温泉やテーマパークに通っていたため、喜美香からは「全然、お店に来てくれない!」と愚痴られていた。
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「武田さんもそうよ!」
「え、何?」
「レースクィーンとか六本木の子とかに興味が向いていない?」
「レースクィーンは認めるけど、六本木の店は行ったことがないよ」
「本当?
満里奈ちゃんが数か月前に見かけたって。
しかも、アタシ達よりもだいぶ下の子と一緒だったって」
<のぞみといた時か>
「六本木の店は行ったことはないよ。
多分、田舎から出てきた姪っ子を案内していた時じゃないかな」
「ふーん、姪っ子とハイヤットに泊まるんですか?」
「泊まってないよ」
「まぁ、いいですけど、不倫と未成年には気を付けてくださいね」
「いやいやいや、未成年も不倫も興味ないからね、僕は」
「知ってますよ、ちょっと意地悪しただけです」
喜美香は武田に意地悪をしても捨てられることがないと分かっていた。それほど余裕がある男だと喜美香は思っていた。金銭的余裕、気持ちの余裕。
「行きますね。
昨日はありがとうございました」
「あれ、朝、食べていかないの?」
「乗っちゃいます、新幹線。
中でサンドイッチでも食べます」
「そうか」
喜美香は振り向いて、ガウンをパッと落とし、クローゼットに向かった。
その後は若い女性のベッドルームを覗いているような雰囲気で、武田は喜美香が丁寧に下着をつける、サラッとスリップなどのランジェリーをつける、ピシッとスーツを着る、そして、手早く効率よく荷物をまとめて出発の準備をするところまでを眺めることができた。
「うふ、いい眺めでしょ?」
「ああ、フルで女の子の着替えなんて、久しぶりに見たわ」
「そうでしょ?
男性はいつも、脱がすだけで、着せてくれないものですから」
「いやぁ、僕が手伝い始めたら、三回目開始ってなるでしょ?」
「あら、アタシは何回でもしたいですけど。
それに三回目って武田さんは簡単な数字も数えられないの?」
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「ん?」
「あはは、アタシったら」
「ん、どうしたんだ?」
「交わるのは確かに三回目ですが、アタシはイった回数を数えていました」
「あらぁ、まさかそれで男性の成績表をつけてないよね?」
「もちろん、つけてますよ。
昨日、今日で八回イかせてくれたから金星です。
それと、アタシにかけてくれている金額は全部記録していますわ」
喜美香は準備が完了し、一度決めポーズのようにキャリバッグを引くような姿勢になって、武田の方を向いた。
「どうですか、出張行ってきますって感じになりましたか?」
「ああ、決まっているね」
「ありがとう」
喜美香は前屈みになって少し胸の谷間を武田に見せた。できるOLというよりも、漫画に出てくるちょっとエッチなOLの姿だった。
「気を付けてね」
「ありがとうございます。
戻ったら、また…」
「連絡をくれ」
「もちろん!
昨日も今朝も楽しかったわ」
「それは良かった」
「それに、とても気持ち良かったし」
その発言が嘘ではなかったように、喜美香は足取り軽く、武田に何度もキスをしてから部屋を出ていった。本当は次の一週間は婚約者との疑似結婚生活をしないといけないことに気が乗らないのだが、やはり好きな男性と過ごしたことが一週間頑張れるエネルギーになったようだった。
そんなことが大阪で待っているとは知らない武田は、喜美香を意外と素直な可愛い女性だと思って見送った。
ブルッ、ブル、ブルッ、ブル
喜美香を玄関で見送り、ベッドに戻って少し二度寝をしようと思ったところ、ブラックベリーがメッセージの到着を知らせる振動を4回した。
<アサインメントか?>
<第十九章・鄭衛桑間・了>