蔭先生の生誕~今③
前回に続く蔭先生の生誕秘話の第3回です。
某青年誌で編集者と打ち合わせをくり返し、雑誌の色に合わせた大衆向けの作風に擦り合わせました。
その末に久しぶりに完成原稿にまで仕上げました。
タイトルは「KAGE」
しかし、結果から言えば全くダメでした。
久々の原稿で私の作画の腕が鈍っていたことも災いしたでしょう。
しかしその編集者は「やはり医療ものなら医者じゃないと話しならない」という捨て台詞を残し音信不通となりました。
元より正式に担当となった訳でもなかったので一方的に捨てられても仕方ないでしょう。
ちなみに、当時その編集者に話した私の創作アイデアがその後その雑誌に掲載された作品に反映されていました、
偶然の一致なのか?
因果関係は不明です。
ちなみにこのようなことは過去にも別の出版社でもありました。
ただ、仮にそれがアイデアをパクられていたとしても悪い気はしていません。
それだけ私が価値のあるアイデアを先駆けて出していたことは事実です。
私はむしろ按摩マッサージ指圧師漫画という可能性を否定されたことの方を問題視しています。
今でこそ医師以外の職業にスポットを当てた医療漫画はあります。
それは可能性を切り捨てた編集者の作品を見出す素養が低かったことの証明ではないでしょうか?
毒を吐いてしまいましたが、まぁ作品を認めてもらえなかった人間の僻みだと思って流してください。
しかし、さればこそ自分自身もまだまだ可能性があると信じられます。
気持ちを切り替えて
さて、次はどのような蔭先生を描こうか・・・
つづく→