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推しと対談するまでは死ねない

2021年9月、大阪城ホールへライブへ行った。人生2回目のライブ。自らの意思でミュージシャンのライブに行ったのは完全に人生で初めて。

今までの人生で27年間、芸能人にハマったことがなかった。他者に憧れたこと自体もほぼない。音楽はそもそもろくに聞いたことがない。音楽の必要性を全く感じず生きてきたためゴミ音痴。
それが、2020年の9月に、妹の愛するアイドルが活動休止直前の出演ということでたーまたまみていたミュージックステーションで、わたしは彼らに出会った。
それを見なければきっと、わたしは今も彼らを知らなかったと思う。2020年9月。それはなんの記念日よりも大事な符号。

わたしには昔からの夢があって、それは遠い。遠いところにあるそれを、30歳間近のいまだに捨てられずにいて、なんども見えないよう片隅におくけれど、結局自ら覗きこみ、取り出して眺めてしまう。手にとって、存在の重さを確かめてしまう。それはわたしの生きる意味でもあり、死にたくなる理由でもあり。捨てられない、粘度の高い、真っ黒な塊。けれど光にかざすとなぜかきらきらひかる、厄介な宝物なのだ。

端的に言って、彼らのその音楽は、ダイレクトにわたしに響いた。わたしのために歌ってくれてる!?!?わたしを応援してる!?!??と、日本中にいるファンの人たちと同じことを瞬間的に思った。落ちた。はじめて、うたに落ちた。

わたしの捨てられない夢を、諦めなくていい、今はそのときじゃなくても、来るべき時が来たらやれ。そう言ってくれた存在に、わたしは目が覚めた。捨て置いても自ら取りに行ってしまって自分を傷つけるその夢を、つらくて燃やそうとしていたけれど、尽きるまではもう一度しっかり磨こうと思った。

じぶんの生きる意味だとわかってるのに、なんでじぶんの手で殺そうとしたんだろう?そこまでくるのにしんどすぎてその結論をだしたはずなのに、そう思うくらいに彼らは一瞬でわたしを元気付けてくれた。

そして彼らはもうひとつわたしに趣味(今ではほぼ生きがいのひとつ)も与えてくれた。
ラジオ。その音楽への血が滲むようなひたむきさを一見見えなくさせるくらいにポップな、学生時代に席が近い男友達の会話を盗み聞いてこっそり笑うような楽しい時間も、初めて知った。
そこから派生して関連ある芸人さんから文化人まで多岐にわたるラジオを聴くようになって、新しい知識をくれるそれは確実に癒しと糧になった。
こんなにも新しい世界があるなんて。
そして1年たって、今日ライブにいけた。
今回も彼らはわたしを予想以上に励ましてくれた。わたしには、そのまま行けって言ってくれたように聞こえたので、わたしはこのまま進む。わたしもわたしの夢を掴む。そしてその足で彼らと会ってみたい。感謝は直接伝えたい。

それまで、ただ健康でいてください。

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1年以上前に書いてた記事を発掘。
あれから色々あって、いまは応援する気持ちが停滞している微妙な時期に見つけてしまった。。
でもこのあつい気持ちと、与えてくれた輝きはいまもしっかり覚えてる。
また心から好きと言える日が来たらいいな…
自分の人生に変化を与えた存在としては変わりない。揺るぎない。

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