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京と大坂
京都と大阪はまったく異なる。大阪が商業の街であるのに対し、京都は文化の街とされる。
控えめな生活を送る京都の人々を見た大阪の人々は「しみったれ」と揶揄し、何でもお金で解決しようとする大阪の態度を見た京都の人々は「がさつどすなあ」と不満を漏らすのである。
上方落語ではこの特徴がさらに誇張して描かれる。本稿ではいくつかの具体例を取り上げながら、この特徴の理解を深める。
さらに、同じ噺が江戸落語でどのように表現されるかと比較して、京と大坂の対比が上方落語の特徴であることも明らかにする。
『愛宕山』
大坂でしくじって京都に移った幇間の一八と繁八。室町の旦那に連れられて早春の愛宕山に登ることになる。ハメものが入り賑やかで、動きも派手な楽しい噺だ。
ところどころで京vs大坂の構図が見られる。例えば一八は冒頭からこの調子だ。
一「京の人間てな、しみたれてけつかるさかいなあ、お茶屋で散財したら高つくさかい山行きしょうてな、しょうもないこと考えるのや、あほらしもない。…」
中腹の茶店で、旦那と一八は「かわらけ投げ」をする。旦那の「こういうものは大坂にはなかろう」というセリフは、細かいところだが噺のキーポイントだ。かわらけ投げがうまくいかない一八は、京の人間はしみったれてけつかる、大阪では金貨を放る、などと憎まれ口を叩く。
もちろん京と大坂の対比がなくてもストーリーは成立するし、この対比に気づかなくても噺を楽しむことはできるだろう。しかし『愛宕山』を奥深い噺にしている要素のひとつとして京vs大坂の構図があることは、決して見逃せない事実だ。
志ん朝の『愛宕山』との比較
さて、この噺は江戸にも移植されている。そこで、志ん朝の『愛宕山』と比較しようと思う。
志ん朝の『愛宕山』では、旦那も幇間も江戸の人間で、京都を観光しているという設定だ。なお、芸妓・舞妓は京の人間として描かれているので、志ん朝のエセ関西弁を楽しむことができる。
この設定からもわかるように、京と大坂の対比は完全に削除されてしまっている。江戸落語なのでハメものもないので、上方の『愛宕山』と比べるとどこか薄っぺらい出来になっていると言わざるをえない。
『はてなの茶碗』
こちらも京都を舞台とする噺だ。日本一の鑑定家、茶金さん。お茶を飲み終わるとしきりに茶碗をひねくりまわし、最後に「はてな」とまで言った。茶金ほどの人が「はてな」と言うくらいだから、たいそうな値打ちものであるにちがいない。
色々な捉え方ができる噺だろうが、個人的には物の価値について考えさせられる。同じ物であっても、意味づけによって価値が何百万倍にもなる。ブランド論などにも通じる話だが、茶金ブランド、皇室ブランドというわけでもない、非常に興味深い内容だ。
閑話休題。本稿で注目したいのはこの部分。
金「(略)……あんさん大阪のお方。そうどっしゃろな、京の人間にはとてもそんな真似でけまへんわ。やっぱり商いは大阪どすなあ。たったそれだけの思惑で、失礼ながら二両といやあ、あんたにとっては大金じゃろ。それを放り出しなはった。(略)」
『愛宕山』では大坂の人間が京をどう見ていたかが主に描かれるが、この茶金のセリフからは京の人間の大坂に対するイメージが読み取れる。商いは大坂というのが茶金の本音かどうかはさておいて、思い切りがいいというのは他の噺でも大坂の人間の特徴として描かれている。
志ん朝の『茶金』との比較
江戸では『茶金』の題で演じられる。油屋は江戸の人間とされているものの、行動は上方の油屋と全く同じである。ところが、茶金の人柄が大きく異なるのだ。
志ん朝も、茶金を衣ノ棚に住む日本一の鑑定士と設定している。しかし、商人という側面を強く描いているように感じられる。
具体的には、茶碗の価値がどんどん上がっていく地語りの部分。天皇の筆が染まったことを、茶金が商売の契機として捉えているように描かれる。鴻池善右衛門に売ることになるのも、鴻池の無理を聞いたというよりは、ここが売り時と茶金が判断したという描写がある。
上方の茶金は、儲けで「施しをしてさしあげたい」とまで言うほどの慈善家として描かれる。江戸落語で茶金の商売人としての側面が強調されているのは、個人的には違和感を覚える。京都というよりは、大阪人のステレオタイプだと感じるのだ。
その他
この項では、上記2演目ほど対比が描かれないものの、京都人と大阪人の両方が登場する噺を取り上げる。
『京の茶漬』
京都人の「ぶぶ漬け」がどんな味をするのかが気になった大阪の人間が、わざわざ京都に出かけるという噺だ。
大阪人の客と京都人の女房との間で繰り広げられる心理的な攻防を描いた落語で、たった一杯の茶漬けがその戦いの火種となっている点が、まさに落語らしい趣を感じさせる。
題名に京とついていることから、京都人を描く噺であるかのように感じられるが、実際には「たったそれだけの思惑で」京都まで出かけてしまう大阪の男を描写しているといえよう。その点でいうと『胴乱の幸助』と同趣向か。
『三十石夢の通路』
『東の旅』の最終章に位置付けられる噺で、三条大橋〜伏見観光から三十石船で大坂に帰る喜六・清八を描く。
注目したいのは喜六と土産売り(△)との会話。
喜「安物の寿司やみな、干瓢の代わりに、芋茎入れてけつかる。京はしみたれてけつかるさかい、芋茎に違いないのや、あんなもん」
△「あんさん、そない京の悪口をお言やしたらあきまへんえ」
喜「なんでや」
△「京は王城の地どっせ」
喜「そうやそうや。魚食わんと青いもんばっかり食て、往生の地じゃわい」
△「まあ、あんなことを言うわ。京は一条から九条まで法華経普門品が埋めておすねんで」
喜「そんなもん埋めんと、ちょっと石ころを埋め、石ころを。京は石道でごろごろごろごろとして歩きにくうてしゃあないわい」
△「あんた、そんなことをお言やしたら罰が当たりまっせ。京の御所のお砂をおつかみてみ」
喜「おつかみてみ、やて。御所の砂つかんだら、どないぞなんのかい」
△「こんな瘧でも落ちるえ」
喜「へーえ、大阪の奉行所の砂利つかんでみい」
△「瘧が落ちまっか」
喜「首が落ちるわ」
本気で喧嘩をしているわけではない。ただ、お互いがお互いを下に見ている様子は読み取れる。
余談だが、瘧(おこり、マラリアを指す)が落ちる、首が落ちるというくだりは、江戸落語『祇園会』にも登場する。ただしこちらでは、江戸と京の男が本気で喧嘩をしているように感じられる。
参考文献
小佐田定雄 [2011]『上方落語のネタ帳』PHP研究所
桂米朝 [2013]『米朝落語全集』増補改訂版・第一巻、創元社
桂米朝 [2014a]『米朝落語全集』増補改訂版・第三巻、創元社
桂米朝 [2014b]『米朝落語全集』増補改訂版・第六巻、創元社