青春物語は私の人生をねじ曲げた
初めて雪ノ下雪乃に惹かれた時から、今年の8月に長い間放置していた『青春物語』をようやく最後まで読み終える決心をするまで、6年以上の歳月が流れていました。残りの小説14巻がほんの1センチにも満たない厚さになった時、言葉にできない感情が心に溢れ出し、興奮、喜び、幸福、戸惑い、寂しさ、空虚、そして恐怖が一気に涙へと変わり、夜の私は子供のように泣いていました。
『青春物語』は、中学から大学までずっと私のそばにいて、私の人生をねじ曲げてきました。登場人物の一人一人がまるで私の友人のようで、歪んだ理屈や幻想を私に吹き込み、そして私の偽りを剥がし、心の奥底まで見透かされているようでした。認めたくはないけれど、認めざるを得ないのです。私の青春はすでに終わっていて、私の青春には恋愛物語などなかったと。『青春物語』を読むことで、まるで自分が奉仕部の一員になったかのようで、彼らの物語を最後まで見届けたような気がしましたが、私の物語を見届けてくれる人は誰もいませんでした。『青春物語』の中で自分自身の影を見つけるたび、自己嘲笑や自己反省の中で途方に暮れてしまいます。私にとっての「本物」とは一体何なのか。
かつて比企谷八幡を偶像視していましたが、今では彼がどんどん遠くに感じられるようになりました。彼らは苦しみや葛藤を乗り越え、最終的に甘い結末を手にし、成長を遂げました。しかし、私は自分の進むべき方向も、自分のやり方も、自分の結末も分かりません。成長は放棄や妥協、葛藤の苦しみを伴い、私にとって成長という言葉は決して美しいものではなく、その到来を消極的に恐れているのです。
恐怖や迷い、不安と祝福を胸に、私は14巻を読み終えました。彼らの物語をもっと見届けたいと思いながらも、無意識に羨ましさや嫉妬を感じてしまい、現実の自分がどれほど無力で、ちっぽけで、孤独なのかを思い知らされます。
それでも、私の青春を勝手に終わらせることはできないのかもしれません。
『青春物語』は、私にとって単なるアニメではなく、退屈な青春を共に過ごした友人であり、私を目覚めさせてくれる鏡であり、そしてもしかすると、私を成長へと導く灯台でもあるのです。
読後感というよりも、一人の青年の独白といったほうがいいかもしれません。『青春物語』に対する感情があまりにも複雑で、人生や未来に対する迷いが多すぎて、この文章はあまり意味のあるものではないかもしれません。しかし、私はこの想いを誰かに伝えたくて、孤独な人間のささやかな反抗として、この文章を書きました。https://www.mangakoinu.com/manga-4104.html