カオナシのさびしい、にどうしようもなく共感して泣いた話

ジブリ映画で、一番気持ちを持っていかれるのが千と千尋の神隠しだ。
これが、一番好きなのは?と聞かれるとラピュタになってきて、しかも強いて挙げるいちばんでなくて大好きな一番なのだが、見終わったあと戻ってこれないのは千と千尋だ。

ハクと千尋の手が離れ、振り向かずに走っていく千尋。二人はきっともとの世界で会える(と信じている)けれど、それがいつ、どんな形かは分からない。それなのにけっこう慌ただしく手を離してしまって、もとの世界に戻って、車にのって走る家族。トンネルどんどん小さくなっていく。
うわぁぁ、どんどん離れちゃう!!となったところで音楽が流れる。木村弓さん、素晴らしい……。余韻なんて言葉では言い表せないほど、しばらくこの世界に引っ張られるのだ。

今、映画館で旧作上映が行われていると知った。あれ、近くの映画館って自転車で行ける距離、しかも平日に行けるということで、迷わず千と千尋の神隠しを観に行った。

テレビで放送されるときは大抵観ていたが、こんなにしっかり観るのは初めてで、正直記憶を消して今初めてみたいと思った。映画館で観ると引っ張り力は強くて、どうにも落ち着かずにnoteを書いている。

この映画には、好きなキャラクターがたくさんいる。子供の頃は格好いい大人に憧れていたので、千尋にいろいろ教えてくれる釜爺やリンさんが好きだった。ハクにももちろん憧れた。
少し大きくなってから、千尋のまっすぐな目に向き合えるようになった。映画の始め、両親は千尋の話を聞かずにトンネルを通りご飯をむしゃむしゃ食べるシーンがある。あの、大人からは駄々をこねるように見られるけれど、話を聞いてくれないのはそっちなのに、という気持ちに心当たりがありすぎて、けれど湯屋で成長した千尋には追い付けなくて、昔はあまり好きではなかった。

今回、初めて、カオナシに共感してしまった。
カオナシの台詞に、さびしい、とある。
カオナシは、千尋が来る前どんな生活をしていたのだろう。

あの橋にずっと佇んでいたのだろうか。千尋のように、会釈してくれる人も居なかったのだろうか。
カオナシは、金を手から出して千尋を呼ぶシーンが印象的だ。結局蛙たちを喰ってしまうわけだが、カオナシに出来る精一杯が金を出すことだったのではないだろうか。

私は人に優しくされないことより、人に必要とされないことの方が、辛いと考えている。
なぜかというと、今私史上最高に人から頼られていないからだ。威張るつもりはないが、事実なので仕方がない。周りの人は親切なのに、自分が渡せるものが見つからない。
だから、千尋が川の主を洗って、湯婆婆によくやったね千!!と言われたみたいに、カオナシにも、よくやったね!と言ってあげたい。

ただそこにいて、会釈するだけを越えて私は、手伝って、と頼みたい。カオナシに、いて欲しい、必要だと伝えたい。

カオナシの気持ちを勝手に想像して、私はぼろぼろ泣いていた。そりゃさびしいよ。金を出してやっと皆が自分を見てくれた、きっとこれが自分の出来ること。扉を開けてもらわなくても、居場所が出来る。なのに何を差し出そうとしても、千は要らないという。じゃあどうすれば良いんだ!!

終盤で銭婆に、カオナシはここにいて手伝っとくれ、と頼まれる。
なんだよ、羨ましいぞカオナシ!!
ここにいて欲しい、と言われたい。居て良いよ、ではなくて、居て欲しい、がいい。

けど、良かったな、カオナシ。きっと次の朝、銭婆はちゃんとカオナシをみて、おはようって言ってくれる。カオナシにお手伝いをいろいろ頼む。

私は早くカオナシから、どうにかして誰かの銭婆になりたい。
カオナシの気持ちを知っている、銭婆になりたい。

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