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九日目 令和元年五月七日 七時四十五分頃
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東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。九日目 令和元年五月七日 七時四十五分頃。駿河國 吉原宿。
【上段左、中】春耕道しるべ。自然石に彫られている。吉永村(現在の富士市比奈辺り)の仁藤春耕が自費で建てた道標。この道標は明治四十二年(1909)に建てられた。「富士沼の・・・」と彫られている。ここ一帯はかって富士沼とも呼ばれる浮島沼があった。干拓されて消失した。
役所の方向と距離が示されている。指差しの道しるべは明治以降のもの。江戸時代には矢印という概念がなかったので道標に彫られることはなかった。
【上段右】この道標の辺りから富士山が望められるはずだが、雲に隠れてしまっていた。
【中段左】前の年(平成三十年)の膝栗毛の際の写真。この時ははっきり見えた。
【中段中】江戸時代末期に浮島沼の干拓のための水路を作った増田平四郎の像。
【中段右】昭和放水路。浮島沼干拓のために昭和十八年(1943)に建設。
【下段左】立圓寺。境内に昭和五十四年(1979)に富士市の海岸に打ち上げられたデラティック号の赤い錨がある。
【下段中、右】植田三十郎の墓。江戸時代初期にこの辺りを開墾して植田新田を作った。台座石には見事な盃状穴。