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小説漫画空間物語「漫画びとたちの詩」第6話

第6話 ある女装家の話

※この小説はフィクションです。 漫画空間以外は実在の人物、団体等とは一切関係ありません。

 今回は短いお話を一つ。
 大須には本当にいろんな人がいて、何者ですか?と聞きたくなるような謎の人物がたくさんいる。

 ちょん髷姿で作務衣を着て光物をジャラジャラ言わせながら歩くおじいちゃんや全身クマの着ぐるみを着た大須のクマさん、いつもオオカミの帽子をかぶって自転車に乗っているおじさん、上下ピンクのフリルの付いたスカートで自転車の後ろにピンクののぼりを立てて走る性別不詳の人、手作りのゾウのマリオネット人形を連れて歩く通称ゾウおじさん、ダースベイダーにストームルーパー、トラやオオカミの動物マスクをしたゴミ拾いボランティア集団等々。あと女装した人も結構見かける。背格好や顔をみたら明らかに男だろうという人が商店街を歩いている。

 今日は漫空に来ていたある女装家、というのか女装が趣味の人の話だ。

 これも数年前のことだが、夜8時くらいに、ある常連さんがダダダッと階段をかけ上がって来て、入るなり「店長、なんか変な人が下の漫空の看板を見てますよ。入ってくるかもしれないです。」と言う。「変な人?どんな人?」と聞くと「おかまみたいな人です。」と言ってる最中に階段の足音が聞こえてきた。「あ、上がってきた!」と言って席に着くと同時にチリリンとドアの開く音がしてその人が入ってきた。背が175センチくらいでがっしりした体格だ。髪はロングで肩よりも長い。多分ウィッグだな。薄いピンク色のワンピースを着ているが、明らかに男とわかる女装した人だった。年齢は30後半から40くらい。

 「いらっしゃいませ!こちらで受付をお願いします。」と言うとカウンターの方に来た。「時間制になっていまして、基本料金とか3時間パックとかありますが。」と言うと喋らずにメニューの基本料金のところを指さした。声を出すと男とばれるからかな?と思いながら「ワンドリンク制になっていますがお飲み物は何になさいますか?コーヒー、紅茶、緑茶、ジュース類は自販機になりますが。」と言うと、また喋らずにメニューのコーヒーのところを指さした。「ホットとアイスがありますが。」と言うと指すものがなくなったので裏声で「アイス」とか細く言う。内心可笑しかったが表情には出さず「今日は描かれますか?読まれますか?」と聞くと、また裏声で「読む方」と言ったのでソファ席の方に案内した。
 アイスコーヒーを席に持って行くと、大きく股を開いて足組みして漫画を読んでいる。スカートが開きパンツがまる見えだった。一瞬ドキッとしたがパンツは男物だった。
 1時間後、彼?彼女?は代金を支払って帰って行った。帰った後、店にいたみんなが「今の絶対男ですよね!」と言って来たが「多分そうだね。」と答えておいた。

 それからたまに、その女装した人が来るようになった。来る日はまちまちだ。平日の時もあれば土日の時もある。時間も昼間来るときもあれば夜来るときもあった。服装もいろいろでフリルの付いた可愛いワンピースもあれば清楚なお嬢様風の時もある。かなり女装用の服を持っているようだ。来たらいつものように裏声で「アイス」とか「ホット」と言うだけで読む席で漫画を読んでいた。読む漫画はつげ義春や辰巳ヨシヒロなど結構マニアックな漫画が多く漫画好きなのはわかった。うちは漫画好きな人なら大歓迎なので読んでいるお客にもよく話しかけて漫画の話で盛り上がるが、この人には話しかけづらいというか、話しかけられるのも嫌だろうなと思って話しかけなかった。何をしている人なのかな?と思いながらもたまに来て読んで帰るだけの人だった。


ある日のお昼ぐらい、買い物をして店に戻る途中、商店街の通りの反対側を向こうからバリッとしたスーツ姿で颯爽と歩くビジネスマンが来る。何気なく見ていたらどこかで見たことのある顔だ。誰だったかなと思い出しながらじっと見ていたら、向こうも気づいたのかこちらを見た。その瞬間向こうが「あっ!」というような顔をした。俺も「あっ!」と思い出した。あの女装の客だった。しかし、すれ違いざま一瞬ちょっとばつの悪そうな表情をしたが、何もなかったかのように歩き去って行った。俺も何も言わず立ち止まって振り返り、彼の後姿を見ていた。

しかし、それから、その女装家が漫空に来ることはなかった。

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