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CAN'T SPIT ON YOUR GRAVE

明日(8月16日)開催されるオンラインライブ「あちこちオードリー」。心にお札を貼って封印している話について、あえてそのお札を剥がして披露するという企画をするらしい。
ゲストはハライチのお二人。楽しみだ。

ちなみにチケットは現在、絶賛販売中です。当日見られない方のために、アーカイブもあるそうです。詳しくはこちらをどうぞ。

若林さんも以前ラジオで、お札剥がし祭りに備えて、昔の記憶をさかのぼっているという話をしていた。
明らかにフライングだし、もしかすると明日の企画とは方向性が異なっているかもしれないけれど、私も今日のうちに心のお札を一枚、剥がしてみようと思う。

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昔々、娘がまだ幼稚園に上がる前のこと。母と妹と娘と私で連れ立って、当時住んでいた町の隣町にある山の上の公園に出かけた。

春の訪れを感じさせる、よく晴れた昼下がりだった。真っ青な空と、山の斜面に植えられた早咲き桜の濃いピンク色と、足元の菜の花の黄色いじゅうたん、遠くには海が見える。絶景とはこういう景色のことをいうのだと思った。
太陽の光をキラキラと跳ね返す海面を見下ろしながら、唐突に母が言った。
「海が見える高台にお墓を建てたいわね。墓石は御影石で、四角いのは好きじゃないから丸いのにしてほしい」

急に何の話をするのかと思ったが、少し前から実家の愛犬の具合が悪いと聞いていたのを思い出した。年齢的なこともありますので…と獣医から遠回しに告げられたのだという。十数年間、目の中に入れても痛くないほど溺愛してきた飼い犬の最期が近づき、自らの最期にまで思いを巡らせたのかもしれなかった。

「了解。海の見える高台、御影石で丸く削った墓石ね」
娘と手を繋いで、斜面の遊歩道をゆっくり歩きながら、私は母のオーダーを忘れないように復唱した。

その数日後、母から犬が旅立ったとメールが入った。ペットの火葬をしてくれるお寺に連れて行き、両手の掌に載るくらいの小さな骨壺に納まって帰宅した。

母はリビングにその骨壺を据え、後日送られてきた遺影とともに何よりも大切にした。晩年も入院しているとき以外、その傍らに生花を切らすことは1日たりともなかった。

今の家に引っ越した後、その小さな骨壺を埋葬するに足るほどの土地はあったのだが、母は頑なにリビングにそれを置き続けた。
最期は一緒にお墓に入る。そう言って譲らなかった。

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そして3年前の今頃のこと。母の外来での抗がん剤治療が続く中、まだだいぶ先の話だけれど、身体が動く間にお墓をどうするか考えておかないといけないね、という話になった。
海が見える高台の墓地。あのとき復唱した母の注文を私はすぐに思い出した。

でも現実は母の希望通りにはいかなかった。持病のある妹は、車の免許を持つことができない。山のふもとの自宅から、海の見える高台の墓地に行くためには、マイカーが必須だ。私が毎回送迎できるとも限らない。おそらく妹は、毎日でも墓参りに行きたいと言い出すだろう。
だから妹が独りでも気軽に墓参できるように、墓地は家から電車で行ける最寄りの場所。駅から徒歩圏内が望ましかった。

また妹には子どもがいない。妹亡き後、墓を管理するのは(私の方が長生きであれば)私だし、夫も私も死んだ後は私の娘ということになる。
孫にまでその負担をかけたくないと思ったのだろう。母は、一定の年数が過ぎた後は合祀墓に移され永代供養されるという樹木葬を扱うお寺を探してきて、見学に連れて行ってほしいと言った。自宅の最寄駅から3駅、駅から徒歩10分ほどの場所にあるお寺だった。
その頃には母の体力もだいぶ落ち始めていたが、自分の目で見て、ここにしたいと決めた。契約に行こうと思っている間に容体が悪化して入院することになり、そのまま旅立ってしまった。

そして母の通夜の席で父が倒れて緊急搬送、かろうじて命は取り止めたものの植物状態となってしまう。どんなに長くても2〜3年の命ですと告げられる中、お墓のことは父が亡くなってから改めて考えることにしてもいいのかもしれないと思うようになった。

仏壇を購入する際、仏具店で骨壺をそのまま入れられるサイズの収納がついた仏壇があることを知った。お墓のことが決まるまで、母はひとまずここに安置することにすればいいと思い、それを購入した。

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父は結局、倒れてから8ヶ月後に旅立った。葬儀を終え一息ついた頃、妹に墓の話をすると、妹はどうしても納骨したくない、両親の遺骨とともに暮らしたいと駄々をこねて私を困らせた。

海の見える高台の墓地。御影石の墓石。それらを全部あきらめて、死期が迫る中、自らの眠る場所を自分で決めてから逝った母。せめてそこに眠らせてやりたかった。頑固な妹は、どれだけ説得しても絶対に自分の考えを曲げない。骨壺を抱きしめて、絶対にどこにもやらない、誰にも渡さないと泣き叫ぶばかりだった。

時間が経てば、気持ちの整理がついて考えが変わるかもしれない。折を見て何度も話をしたが、妹が翻意することはなかった。

父が亡くなってから半年ほどの間、遺骨は簡易型の仏壇に並べて置かれたままだった。せっかく買った仏壇の収納スペースすら活用されず、仮設の台の上に骨壺が2つ並んで鎮座している様は、はっきり言ってかなり異様な光景だった。

私はようやく覚悟を決めた。母よ許せ。墓は買わない。貴女がわがまま放題育てた次女の主張だ。あきらめろ。父よ許せ。いや、父はきっと許すだろう。どんな理不尽にも黙って耐える人だったから。母とともに眠れるなら、どこだっていいと言うだろう。

年が明けて少しして、いつまでも遺骨が出しっぱなしなのはよくないからと妹を説き伏せ、仏壇の収納スペースを整えて、父と母を安置した。仕切り板を入れると、ぴったり2つが納まるサイズだった。安堵した。

ということで私の実家には、今も人間のしゃれこうべふたつと、一緒に墓に入る予定だった愛犬のしゃれこうべ(犬のお骨は拾えなかったし、骨壺を開けたこともないから、頭蓋の形が残っているかどうか定かではないが)がひとつ、ただただ静かに眠り、これらみっつのしゃれこうべとともに、妹が独り暮らしている。

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こうして考えると、妹は今も最愛の母に忠実に倣っているだけで、ある意味誰よりも素直なのかもしれない。
リビングに愛犬の遺骨を長いこと飾り続けた母。
簡易型仏壇に両親の骨壺を飾り続けた妹。

……母よ、これはおそらくブーメランだ。
仏壇下の狭いスペースに収納されて、理不尽に感じているかもしれない。でもいつまでも仮設の台に載せられさらされているよりは、いくらかマシになったはずだ。

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今時期がお盆で、墓参りに行かれたご家庭もあるだろう。あるいは流行する感染症の影響で、遠方まで帰省できす、もどかしい思いを抱えておられるご家庭も多いかもしれない。

私には参る墓がない。墓参りなどという面倒なしきたりから解放された私は、見方によってはラッキーなのかもしれない。でもわがまま放題の妹を遺されて、朝から晩まで、いや朝から翌朝までそのわがままに振り回されて辟易するにつけ、両親には文句のひとつも言いたいし、墓に向かって唾棄してやりたい気持ちになることだってある。

ただ私には、その唾を吐きかける墓を準備することさえかなわなかった。
妹のいない場所で、両親に向かって愚痴を吐き出すことさえ許されない。

そんな世を憂いsingin'する代わりにnoteにwritin'。
心のお札を剥がして好き放題書いて、勝手に供養させていただいた。

せめて安らかに眠れ。
合掌🙏


※タイトルは敬愛するCreepy Nuts「耳無し芳一Style」の歌詞から、一部を変えて勝手にお借りしています


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#合掌

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