自分の価値基準を振りかえって
こんにちは。まねねです。
先日、初めて地元のイタリアンレストランでひとりランチをしました。ゆっくりとした時間の中で、料理を味わっていたら、ふと、自分の価値基準について思い出しました。今回は、そのことについてエッセイ風につづります。
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8月のギラギラと太陽が照りつける中、片道2時間かけて電車に乗り、用事を済ませ、地元の駅に戻った時、ちょうど午後の1時を過ぎていた。家でトーストでも焼いて食べるつもりだったが、ホッとひと息つきたくなって、近場のイタリアンレストランへ入った。
ひとりということで、カウンターに通された。
スープの前菜とピッツァのセットをオーダー。
カウンターに座って、水を飲みながら、暑い体を冷まし、じっくり料理の音に耳を傾ける。優しい音。BGMもお店の雰囲気に合って、邪魔しないテンポで曲が流れていた。
前菜のスープは塩味だけのミネストローネ。スプーンとお皿は大きめで重い。食器の重厚感を味わうだけで、なんだかリッチな気分になる。
スープは、野菜、キノコ、豆類が入っていて、優しい味わい。イタリアの家庭で出るスープのようだ。このスープを食べていたら、ふと、過去の自分を思い出した。
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私は、32歳までモノの価値を全てお金で判断していた。「価値=お金」。
「自分が欲しいもの、食べたいもの」よりも、「値段が安いものが一番」だった。
「価値」は目に見えないもの。でも、「お金=値段」は、目に見えるもの。
それは、幼い頃、家が貧しかったのと、3人兄弟の末っ子で、共働きの両親はいつも忙しく、「お前は黙ってついてくればいい」が口ぐせだった。自分やりたいことや欲求がわからないまま、成長してしまった。
大人になった私は、自分の判断に自信がなく、目に見える「お金」だけが頼れる存在になった。
だけど、ちょうど32歳の時、仕事運(失業)も、恋愛(破断)も、金運、全てうまくいかなくなり、どん底に落とされた。
何がいけないのかわからず、途方に暮れていた時、色んな本を読んでいたら、この判断基準がそのものが違っていたことに気づいた。そして、お金への接し方を変えた。
・値段が少し高くても、自分が興味ある方(ワクワクする方)を選ぶ
・お金を払うとき、「感謝」する
・お金を使うときは、それにかかわっている人のことを思い、その人達が幸せになるようにと願いを込めて使用する(→自分のお金が、相手の給料になり、その給料が新たな価値を生み出す)
これらを実行していたら、少しずつ、自分の価値基準や、自分にとっての判断要素がわかってきた。
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前菜のスープを食べ終え、次にマルゲリータが運ばれてきた。薄い生地だが、モチモチしていて、トマトの酸味とバジルの苦みがちょうどいい。大人の味だ。
今日のランチは、とても居心地が良い。レストランの雰囲気と向き合い、料理と向き合い、自分の過去と向き合える。そして、幸せだなぁと心の中でつぶいやいた。
食べ終えたあと、「私のお金がシェフとウエイターさんに少しでも幸せを運んできますように」と願いながら、会計を済ませた。
「価値ある時間」をありがとうございました。
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