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#15【ぶちこのタロット日記】Ⅴ法王逆位置
今日もどんよりと過ごしました。仕事も捗らず。
重い体を引きずって、買い出しには出かけましたが。
猫風邪のじじ様、時々ずずっと鼻を鳴らしていますが、熱はないようで、食欲もあります。なかなかスッキリとは治らないものですね。
とろこで
「法王」は倫理的正義、父性的な慈愛、精神的な気高さ、とか。現実世界とは違ったレイヤーの価値観のカードのようです。(なんとなく棒読み)
逆位置だと、精神的な支配や身勝手な考え方、今まで信じて来たことに行き詰まる、とか。
私、精神的には、ずっと行き詰まってます。
うーん。
キリスト教には多少縁があって、知らない世界ではないのですが、
だから一層、「倫理的正しさ」とか「慈愛」という言葉に違和感を感じます。
この界隈も、中に入れば、世間と同じ汚さも狡さも、イジメもあります。
人間だもの。
ただ、建前としては言い続けなければならない。「倫理的正しさ」とか「慈愛」とか。
どの口で言うか、ですけど。
それを自分としても、常日頃、ひしひしと感じるわけです。ヒリヒリと痛む心。
これは実話ですが
あるキリスト教の教会に、60代の野宿の女性がしばしばやってきては、1日過ごしています。
昼間は聖堂が空いてますから、そこで寝ていて、夜、教会が閉まると路上の決まった場所で夜を過ごすようです。
土日は教会の行事があったりして、軽食が振る舞われたりすると、それも食べていく。
教会の福祉関係のグループの人からは、季節の必要品など貰っていく。
おとなしい、というか、教会の行事を邪魔するわけではないから、皆そのままにしているわけです。
精神疾患がある方のようで、妄想が色々とあり、社会福祉事務所などに連れて行っても話にならないので、福祉につながることなく、(←これも不思議だよね)かれこれ5年以上経ちます。
ところが、教会学校の子どもが、彼女を「怖い」と言い出したそうで。
親が、「なんとかしてほしい」と言ったらしい。
それで、教会学校の時間帯は、敷地の外に出ることになったらしいんです。
親は、なんで自分の子どもに(野宿者の存在を)説明しないんでしょうね?
一体なんのために教会学校によこしているんでしょうか?
これが矛盾というか、、モヤモヤすることの一つです。
でも、一方で
私はその野宿女性の肩を持つ気はさらさらないんです。
実際、話してみると、押しが強くて、苦手なタイプです。
「自由で純粋な人だから、尊敬してる」と知り合いの援助職の人が言ってるのを聞いたことがありますが、耳を疑いました。(いや、いいんですよ。勝手に尊敬してください)
ただ、「貧しい人はいい人」だとは、全然思ってませんから。
いい人も嫌な人もいますよ。
こういう自分は、全然「いい人」ではなくて、これがモヤモヤの最たるものです。
実際のバチカンのローマ教皇(法王)は
教会の横領とか、贈収賄とか、性的虐待とか、ありとあらゆる俗世間の罪を犯した聖職者たちの対応に追われているのも現実。二人の僧侶は教えを聞いているというより、弁解しているみたいにも見えてきます。
表だけど裏、裏だけども表みたいな。
正位置といっても逆位置に見えてしまう。
矛盾に満ちたカードに見えてしまう。。。