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離婚で人生が大きく変わった普通のサラリーマン きっかけとなった3つのこと

31歳サラリーマンの普通の人生とちょっとしたイレギュラー

初めまして。
31歳サラリーマンのマネケンです。
毎日会社に行き、一生懸命働き、家族の為に生きる。
ごく普通の人生を送っていました。
2021年、なんの変哲もない人生が大きく変化することになります。
ちょっとしたイレギュラー、「離婚」。
すべてを失ったような気持ちになりました。
しかし、人間という生き物は面白いもので、良くも悪くも大きく環境が変わることによって、人生は大きく動き出すものです。
ここ最近面白くなりつつあるので、自己紹介も兼ねて私の人生について書かせていただきます。
気持ちの整理も含めてアウトプットできればと思いますので、なんとなく読んでもらえれば幸いです。

大きく人生が変わるきっかけとなった3つのこと

大きなきっかけは離婚ですが、離婚後私が変えたことや意識したことは3つありました。
それは、

・環境を変える
・仲間を作る
・自分の気持ちに素直になる

シンプルですが、人生においてとても大切なこと。
離婚という大きな出来事があったから気づけたことでした。
この3つについてお話するうえで、今までの私の人生についても
書いていきます。

10歳までの自分

私が生まれたのは大阪の田舎町。
川沿いに列を成す住宅街で父と母、兄と祖母の5人で暮らしていました。
なんとなく保育園の記憶は残っていますが、家の前の川で遊んだり、兄と秘密基地を作ったり、ごく一般的な幼少期を過ごしていたと思います。
5歳になったころ、父と母がよくケンカをしているのを目にしました。
そんな時はいつも祖母が家の外に連れ出してくれたりして、細部を目の当たりにしたことはなかったのですが、時々泣いている母を目にしたことを覚えています。
そして、遂に父と母は離婚することとなり、兄と私は母の実家である島根県へと移り住むこととなりました。
その時は離婚という意味が分からなかったので、「なんで父ちゃんは来ないの?」と思っていました。
島根県はただただ田舎で、山奥にポツンと置かれたような小さな家で母と兄、そして祖父の4人で生活を始めました。
山の中の生活は本当に日本かと思うくらいに今思えば狂っていました。
祖父と山に出かけて罠をしかけて、猪を捕ってきたり、野兎を食べたり…
夏の暑い日にアイスあるかなと冷凍庫を開けると、バラバラの生物が冷凍されていたのは良い思い出です。
保育園の年長となり、周りからは方言がおかしいと言われ、「なにがやねん!」と思っていましたが、方言の矯正には苦労しました。
今思えばそのまま関西弁を貫いたほうが面白かったと思いますが…
小学生に上がっても関西感が抜けきれず、話にオチのない先生にオチを求めて、通知表に困っていますと書かれるような少年でした。
そんな自分が少年時代に熱中したのは、サッカーでした。

サッカー小僧 女子は苦手

小学校中学年になると、私はサッカーに夢中になりました。
日韓ワールドカップの時期というのもありましたが、きっかけになったのは何気なく放課後にみんなとやっていたサッカーのミニゲームでした。
初めてドリブルで相手を抜き去った時の気持ちよさに魅了されました。

それから母にサッカーのスクールに通いたいとお願いしましたが、どうせすぐ飽きるだろうと断られてしまいました。
しかし本気でサッカーをやりたかった私はせめて本屋でサッカーの本を買ってほしいと駄々をこね、時間があれば近くの神社にある壁に向かってひたすらボールを蹴っていました。

さすがにそこまで本気でやるとは思っていなかった母がついに折れ、中学に上がると部活動ではなく地元のクラブチームに参加させてもらえるようになり、中学時代もサッカーに打ち込みました。
思えば、これが人生初めて自分で生きる環境を変えた瞬間でした。
普通にサッカーやるだけならどこでも出来る。
でももっと熱い場所でサッカーがしたい!
そう思って自らそういう環境に身を置いた経験でした。

田舎の小さな中学校でしたので、人と違うことをしているだけで、クラスの女子からは質問攻めにあいました。
しかし、当時の私は本当にサッカーしか頭になく、女子から話しかけられるとおどおどしてしまい、何も話せないサッカー小僧でした。
そんな私にも彼女が出来ましたが、デートに行っても話すことは何もなく、メールでなんとか会話をする程度のお付き合いしかできない、ほろ苦い青春時代となってしまいました。

高校では部活動のサッカーを選びましたが、クラブチームとは違う独特の文化とフィジカルメインの練習がきつく、膝に大きなケガを負ってしまいました。
高校では思うように試合に出ることも出来ず、中学から付き合っていた彼女とも別れることとなり、人生で一番きつかった時期だったと思います。

大学デビュー! ただモテたくて…

大学行ったら絶対遊びたい!!
そして島根から出たい!!という思いで必死に勉強しましたが、兄が先に島根から出ていて、母が寂しそうにしていたこともあり(本当は車買ってもらえるから)島根の大学を選びました。
その代わり、今ままでサッカーしかやってこなかった反動から、遊びたい欲求が抑えきれず、大学では遊ぶことしか考えていませんでした。
まず大学といえばサークル!ということでいろんなサークルに見学に行きました。
どれも面白そうで目移りしましたが、やはり大学デビューといえば…ということで、軽音!!
軽音学部に入部することに決めました。
理由はもちろんモテたいからです!w
ただもちろんギターもなにも触ったことすらなかったので、アルバイトを始め、お金をためて当時7万円のエレキギターを買うところからスタートしました。買った日は何も弾けないくせに、ジャカジャカかき鳴らしましたね…(みんなやりますよね?)
でもそこからは必死に練習して、ライブに出たり、オリジナルの曲を作ったり、最終的には部長も経験させてもらえて、すごく良い経験になりました。
ただ…ギターが弾けるからモテるという訳ではないという事が分かりました。結局ギターやってるコミュ力高い人が、友達をライブに呼んでモテてるだけなんだと知れたのは、得難い経験でした。

そんな私にも、遂に彼女が!!

さあ大学生活っぽくなってきました!!
やはりギター弾けるとモテるのか!?と思いきや、彼女との出会いはアルバイトでした…
女子への耐性が0な私に気さくに話しかけてくれる彼女
すぐに好きになった私は、やり方も分からないアプローチを重ね…
なんやかんやあり(需要があれば別記事で書きます)
見事付き合う事となりました。

今までも彼女がいたことはありましたが、初めてちゃんと付き合った彼女でした。
わがままで気持ちの浮き沈みが激しい子でしたが、そんなの気にせず、すべて彼女のために尽くしていました。

変な就活

そんな私も就活の時期がやってきました。
みんな通る道だと思いますが、なにをやっていいのか分からない
試しにネットで調べてみますが、説明会や面接は都会でやっていることが多いようでした。
島根で就活しようと思ったら、かなり金がかかるという事が分かりました。

私は島根を出る決意を固めました。
彼女に数カ月の別れを告げて、私は大阪に向かいました。

なんとなく地下鉄の駅ちかが良いと思い、さらになんとなく好きな御堂筋線沿いで家を探すことに
西田辺の不動産屋さんで一番安いところで!とお願いすると、あびこ駅近くのアパートで月2万ぐらいのところがあったので、そこで就活をスタートすることに!

お金も必要だろうという事で、大阪でもアルバイトをしようと思いましたが、急に面接などの予定も入るだろうと思い、日雇いのアルバイトをやりました。
ポスティングやイベントスタッフ、会場設営など毎日いろいろな仕事が経験できて、今思えばすごく楽しい期間でした。

1カ月ほどたったある日、島根にいる彼女が大阪に来ることになりました。
嬉しい反面、就活がうまく進まなくなる…
正直もう少し将来を考えたい気持ちもありましたが、内定もらえていた会社の中から選ぶことにしました。
多分この人と結婚するんだろうと思っていたので、20代である程度お金がもらえる会社を選びました。
そして、大学卒業と同時に彼女と結婚することに
これから頑張らねばだ!

いよいよ社会人!

私はとある外食チェーン企業に就職しました!
まずは店長を目指して頑張ろう!
初日を迎え、店長に挨拶に行くことに
皆さんに聞くと、店長はバックヤードにいるとのこと
薄暗くて汚いバックヤード
ヤンキー座りでたばこを吸っている店長
「今日からよろしくお願いします!」
元気よく挨拶すると、店長から一言
「なんでこんなブラック企業入ろうと思ったの?」
社会ってすげー

入社から2年程は目の前の仕事をこなすのに精いっぱいって感じでした。
そして店長となり、ようやく生活も安定してきた頃、突然異動の話が舞い込んできました。

新卒採用の部署で仕事をすることになりました。
つい最近まで面接受ける側だったのに、自分が説明会や面接をすることに
自分の就活が特殊だった分、上手にアドバイスもできないのも大変でした。

結局5年間新卒採用をやらせてもらい、東日本、西日本それぞれの採用責任者もやらせてもらいました。
5年やって分かったことは、「人は人に惹かれる」という事でした。
確かに自分も企業選びで条件面を気にしてはいましたが、最後まで残っている企業は、採用担当者が熱い!と思えたり、考え方が自分と似ていたりする場合が多かったです。
面接や説明会でのトークスキル、イベント運営や企画などを学ぶ良い機会となりました。

仕事を頑張れば頑張るほど、プライベートが崩れるという話はよく聞きますが、本当にそうなんだと痛感したのが、新卒採用5年目の夏でした。

妻の不倫 人生の転機

思えば出会ってから10年
自分の人生よりも、妻のことを第一に考えてきました。
欲しいという物はなんでも買ってあげたり、行きたいという場所には連れて行ってあげたり、自分がやりたいことは後回しにする人生でした。
離婚をして、寂しい気持ちでいっぱいになりましたが、自分の本当にやりたかったことやなりたい自分について考えるようになりました。
環境が変われば、人生が大きく変わるんだと思い知りました。

当たり前に会社に行って、仕事をして、そんな生き方しか知らない自分が少しでも変われたら
そんな気持ちになり始めただけでも、少し前に進めている気がします。

最近は好きだった音楽を全力で楽しんだり、会いたい人と自由に会えたり、自分のことを好きになれるような生き方を選べるようになった気がします。

不倫なんてドラマの中の話と思ってました。
自分は大丈夫
それは大きな間違いでした。
ネガティブになることもありましたが…
ネガティブは脳が決める
どんなこともポジティブに変換して、生きていきたいと思っています!


会いたい人に会う やりたいことをやる

めちゃくちゃシンプルなことですが、今までの自分にはない考え方でした。
すべて妻のため
お金も時間もそんな風に使っていました。
やりたいことはあってもなかなか一歩が踏み出せない。
そんな時、今まで断り続けていた周りからのお誘いに可能な限り応えるようにしてみました。
そうすると、今までの人生では出会えなかったような素敵な人との出会いがあったり、自分にない考え方を知れたり。
そうしてる内に、自分がやってみたいと思える事が尽きないほど湧き出てくるようになりました。
あの人は頑張っているから、自分もこんな風に一歩踏み出そうという気持ちになることができました。

離婚はネガティブな環境の変化でしたが、私にとってはとても大事な変化でした。
自分を大きく変えたいという人は、強引でも環境を変え、最高の仲間がいれば、大きく人生が動き出します。

例えば、地元の友達といる時のようなイメージです。
気心知れた仲間といる時って、なんだか無敵感ありますよね。
良い仲間が増えると、なんでもできる気持ちになれますし、効果的なアドバイスをもらえたりします。
仲間が増えれば、人生が大きく変わるきっかけになる!
大事な事だと感じました。

自分にしか分からない声に耳を傾ける

結局今までの自分は、何かにつけて言い訳をしていました。
もっと時間があれば
もっとお金があれば
家族がいるから

そんな風に考えていたら何も前に進まなかった。
本当の自分はどうなりたいか。
自分は何がしたいのか。
何にたった一度の命を使うのか。

自分にしか分からない、本当の声に耳を傾けることができるようになったのは、環境が変わり、仲間ができたからでしょう。

今こうして、好きな事を発信したり、大好きな音楽に没頭できたり、新しいことにチャレンジすることがワクワクする人生を歩めるようになったことが本当に嬉しく思います。

まとめ

長くなりましたが、私が言いたいことは3つです。

・環境を変える
・仲間を作る
・自分の気持ちに素直になる

これからワクワクすることに従いながら、自分を信じてやりたいことをやっていこうと思います。
楽しい人生になりそうです!


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