ヨガスートラを自分の言葉で説明するやつ③
題名迷子…題名つけるセンス皆無やなと思うけど、とりあえず気にせず続けます。
3そのとき、見る者(自己)はそれ本来の状態にとどまる
前回、ヨガは物事を客観的に見ることによって問題や悩みから解放させるんやで。みたいなことゆったやんか
だからこの、見る者ってのは
自分を客観視したときの一歩引いて見てる自分のことな!
ヨガでは自分と心(とか肉体)を区別して考えるねん。
心が乱れたりしても自分と心は切り離してるから自分には支障ないねん。
心は心、自分は自分!
そこでわかりやすい例えかいてあったわ!
自分の顔を見るのに鏡使うやん。
その鏡がなんか歪んでたりしたら変な顔に映るやん。
でも、だからって落ち込んだりはせーへんやん。鏡が歪んでるってわかってるから。
ほんで、その歪み整えて平らにした時に
ほんまの姿が映るやんな!
それと一緒やねんて。
この場合の鏡を心に置き変えて考えると
自分は心を通して映るんやけど、心自体が汚れたり歪んだりしても自分はなにもかわらんねん。
心が乱れた時、自分自身が乱れてると思いがちやけど、そうちゃうねん。って!
心乱れた時にうわー自分ほんまブスやわ〜って落ち込んでるのは
歪んだ鏡見て変に映ってる自分に落ち込んでるのと一緒やねん。
あほみたいやんな!
そういうこと!
そんなんゆーてんと、歪み整えたらええだけやねん。
ここでは鏡やったけど、仏教では池に映った月で例えたりするねん。
あー、いっしょやなあとおもった。
池にゴミが浮いてたり濁ってたり、波たってたら本来の姿が見えへん。
いつも澄んでて穏やかな波のない状態にしとこ。