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10 グラタン・ショック!

 初めてグラタンというものを食べたのはいつだったか。おそらく小学生のときだと思うが、どこかの洋食屋ではなくて、家で食べた。つまり母が作ってくれたのだ。お母ちゃん、ずいぶんハイカラなものを作ってくれたね。
 うちの母がゼロからグラタンを作る方法を知っているとは思えないから、当時、ご家庭で簡単にグラタンが作れますよ? というようなものが発売されたはずだ。そういえば、そんなCMを見たような記憶がある。そう思って調べてみると、ドンピシャなものがあった。
 ハウスの「グラタン」である。ハウス食品のサイトで会社の沿革を見てみると、昭和44年に商品名「グラタン」を発売している。これはホワイトソースの素とマカロニをセットにしたもので、これとオーブンさえあれば、日本の家庭でもグラタンが作れる。昭和44年(1969年)ということは、ぼくが8歳の年だから、おそらくこれが自分にとってのグラタン初体験で間違いないだろう。
 とにかくひと口食べ、その美味さにショックを受け、すっかりグラタンの虜になった。寝ても覚めてもグラタングラタン。外食に行けばグラタンにありつけるんじゃないかと思い、ただの町中華に行っても「グラタンが食べたい……」と母に無理を言って泣きべそかいた。泣きたいのは母の方だよね。

 考えてみれば、マカロニというものを初めて知ったのもグラタンがきっかけだったのだと思う。それ以前に(少なくとも我が家周辺の食生活に)マカロニを使った料理なんて存在しなかった。スパゲッティでさえ、ミートソースかナポリタンしかない時代だ。マカロニチーズやペンネゴルゴンゾーラなんて夢のまた夢。そもそも、チーズを溶かして食うという文化がなかった。昭和の子供にとって、チーズといったら細長いQBBスティックチーズか、円盤を6等分した雪印6Pチーズだった。親父が晩酌のときにチミチミ食っていたアレね。
 それを溶かして食うだって!? イッツ・ア・アメイジング!!
 日本ではイタリア製の西部劇を「マカロニウエスタン」と言うが、本国では「スパゲッティウエスタン」と呼ぶらしい。なんだよ本場イタリアでもマカロニよりスパゲッティの方がメジャーなのかよ! というのは、後年になって知ったことだ。
 いずれにせよ、スパゲッティもマカロニも、同じ小麦粉で出来ている。違いはその形状くらいのもんだろう。初めてマカロニを見たときに「あっ、この中をくり抜いたのがスパゲッティだったのか!」と天啓を受けた昭和の子供は多かったのではないか。

 やがて大人になり、自分の金で自由にイタリアンレストランに行けるようになった。いや、イタリアンレストラン──噂では「トラットリオ」とか言うらしいじゃないですか──みたいなところに行くまでもなく、80年代に入ると普通に町の喫茶店でもグラタンがメニューに並び始めた。マカロニグラタン、海老グラタン、チキングラタン。
 ぼくが蒲田の日本工学院に通っていたときは、学校のすぐ近くの喫茶店に「スパゲッティグラタン」なるメニューがあった。マカロニのかわりに茹でたスパゲッティがホワイトソースに埋もれているもので、これはこれでメチャメチャ美味かった。小麦粉と溶けたチーズさえ食えりゃなんでもいいのである。

 いまグラタンが食べたくなったら、迷わず「サイゼリヤ」へ向かう。一人客でも気後れすることなく、ゆったりソファーで格安のグラタンが食えるからだ。ちょっと腹ペコのときはドリアにしてもいい。米と溶けたチーズの融合。ぼくにとっての日米友好通商条約はこれだと確信する。
 ぼくがこれほどまでにグラタン好きなのは8歳の年まで遡れるわけだが、これが後々ぼく自身を呪縛する「マグマ舌」の萌芽でもあったのだろう。

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とみさわ昭仁
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