65 ソウルフードは化学である
自分のソウルフードは何だろうか? ドコのドレだろうか?
そもそも「ソウルフード」とは何なのかといえば、もちろん「奴隷制時代にアメリカ南部のアフリカ系アメリカ人たちが好んだ料理」という本来の意味はあるけれど、ここではもうひとつのライトな意味、すなわち我が国において自分の血肉となっている懐かしの味、馴染みの店の味、故郷の味、という話をしたい。
まず言っておきたいのは、ソウルフードであることと味の良さには相関関係がないということだ。あくまでも子供の頃から慣れ親しんだ味、昔を思い出すのでつい食べたくなってしまう味、ソウルフードとはそういうものであって、それがうまいかどうかは関係ない。いや、本人はうまいと感じているんだろうけれど、それを本人以外の人が食べてうまいと感じる保証はない。むしろ、「えっ、これのどこがソウルフードなの……?」と首をひねることの方が多いのかもしれない。
たとえば、ぼくのソウルフードのひとつである「福島県浪江町のソウルうどん」なんて、どうってことのない田舎臭いうどんなので、そこに何の思い入れもない人が食べたとて、「これのどこにソウルが?」とシラケさせてしまうだろう。ぼくのソウルと、あなたのソウルは、同じものではないのだから無理もない。
外食におけるソウルフードという切り口で考えると、2021年に刊行された『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』(ケンエレブックス)が格好のテキストとなる。そこに記された100人の記憶に残る100軒の「二度と行けないあの店」は、食における100通りのソウルを味わわせてくれる。
ぼくも子供時代に酒飲みの親父に散々付き合わされた森下町「山利喜」のもつ煮込みのことを寄稿していて、間違いなくソウルフードのひとつではあるのだが、自分自身が酒飲みとなったいま、山利喜に行くかといえばまず行かない。なぜなら、あそこのもつ煮込みはいまの自分の味の好みとはちょっと違うからだ。そんなもんである。
大好きな味だったのに、事情があって二度と行けなくなってしまった店の筆頭は、かつて築地の場外にあったラーメンの「井上」だ。
常に行列ができるので、1ロットで8杯同時進行、とくに混んでるときは11杯同時進行で作る店主の動画がYouTubeにも上がっているので、興味ある方は見てみるといい。
まずはドンブリを8つ並べ、それぞれにタレを入れていく。次いで刻みネギをひとつまみずつ入れたら、おもむろに取り出すのが化学調味料の入った缶。これを逆さにして各ドンブリに投入していく。サーッと流れ落ちる化調。時間にして約2秒。けっこうな量が入ってしまう。行列しながらそれを見ているぼくは、いつも「砂時計かよ!」って心の中でつっこむ。化調否定派が見たら卒倒しそうな光景だが、そこがいい。井上のラーメンはあの砂時計あってこその味なのだ。
そのように下準備ができたら、スープを注ぎ、麺を入れ、メンマを入れ、焼豚を入れ、仕上げにかいわれ大根を乗せる。これで出来上がり。盆ごと受け取り、立ったまま啜る井上のラーメンは魂に染み渡る。もう何杯食べたかわからない。
そんな井上だったが、2017年に火事を出して閉店してしまった。不運と言うしかない。あれだけ連日行列ができていて、従業員の数は必要最小限に絞っていたから、それなりに蓄えはあったはず。近隣への賠償もしてすぐに再開するかと思ったが、そう簡単にはいかないようだ。
あのあとすぐに築地城内のビジネスは豊洲に移転したので、井上も豊洲で営業再開してるんじゃないかと、ときどき「ラーメン/井上/築地/豊洲」で検索してみるんだが、いまだにヒットしないし、井上がよその土地で再開したというニュースも流れてこない。
特別うまいというものではないが、それでも癖になるあの味は夢にまで見るラーメンで、ぼくの井上への想いは成仏しきれない魂となり、築地と豊洲の間で行き場をなくして漂っている。