003右手にグラス左手には

03 右手にグラス、左手には……

ひとりで飲むとき、おじさんは何をしてるのだろうか。コロッケと会話する……のは冗談としても、話し相手がいないのだから、退屈でないはずがない。

ぼく自身、以前は本を読みながら飲むことが多かった。本といっても、あまり小説は読まないので、ノンフィクションやドキュメンタリーを読む。ただ、そういうノンフィクション系の本というのは、ブ厚かったり、デカかったりすることが多く、これがなかなかにツライ。片手で持っていると疲れるのだ。小説なら文庫も多いが、ノンフィクションは滅多に文庫にならない。

これはぼく個人の問題かもしれないが、飲酒中の読書にはひとつ難点がある。自分ではちゃんと読んで、頭に入っているつもりでも、酔っぱらうといろんなことを忘れてしまう。この記憶力の脆弱さが、飲酒読書の強敵なのだ。

ひとりで酒場へ行き、読みかけの本をひらく。チューハイを2〜3杯やりながら読み進み、途中で燗酒なんぞに切り替えて、なおも読み進む。わっ、読むのに夢中になっていて、レバ焼きのタレが本のページにボタリと落ちた! 買ったばかりの本が汚れて悲しいけど、人から借りた本じゃなかったのは不幸中の幸い。ああ、バカバカおれのバカ。

などとブツクサ言いながら40ページほど読み進んだところでほろ酔いとなり、本を閉じて帰宅する。翌日、仕事へ出かける電車の中で、続きを読もうと本を開くのだが……。

ぜんっぜん内容を覚えてない!

ここまで読んだ、と挟んである栞のところから読み始めるが、そこに書かれている内容と、脳内にあるはずの記憶とがつながらない。あれ? 栞の位置を間違えたか? と数ページさかのぼってみても、まったくつながらない。結局、前の章まで戻ってみて、ようやく「ああここは読んだ覚えがあるぞ」と、記憶と本がカチンと連結する。これはつまり、昨日飲みながら読んだはずの40ページは、まるで意味がなかったということなのだ。

おれの脳は豆腐か。あん肝か。アルコールでフニャフニャになった頭は、読書には向かない。

それ以来、飲酒中に読書をするのはやめた。時間を有効に使っているつもりが、もう一度シラフのときに読み返さなければならなくなったりして、かえって時間を無駄にする。

次に始めたのは、手帳を出して仕事のアイデア出しをすることだった。インプットではなくて、アウトプット。ひとりで酒を飲んでると、どうしてもくだらないことを妄想する。それをただ酒場の湯気として蒸発するままにするのではなく、手帳に書き残すのだ。それがなんの役に立つのか、と疑問に思われるだろうが、ぼくはくだらないことを考えるのも仕事のうちなので、何も間違っていない。

あれは新橋のもつ焼き屋だったかな。例によってひとりで飲みながら、思いついた駄洒落かなんかを手帳に書き込んでいた。すると、やはりひとりで来ていた隣の男性客がこっちの手元を覗き込みながら、「先輩、それなんスか? 何をメモってるんスか?」と訊いてきた。

ひとり飲みをしているときには「話しかけないでねオーラ」を全開で放出しているのだが、彼奴は、そんなプライベート空間にためらうことなく入り込んできた。漫画だったら背景にでっかく「ズケズケ」と書いてあるところだ。だいたい、初対面の相手を気安く「先輩」呼ばわりするような人間にろくな奴はいない。

幸せな時間を邪魔されて、ぼくは少々気分を害したが、いい歳して酒場で喧嘩などしたくない。だから、そのときは「仕事のメモですよ」とかなんとか言って誤魔化し、あとは生返事で適当にやり過ごした。それ以来、隣席に他人がいるときは、メモをするにも注意を払うようになった。

いまはスマートフォンというものがあるから、退屈知らずである。ツイッターとFacebookを見ているだけでも、十分に時間がつぶせる。iPhoneを発明したスティーブ・ジョブズも、案外ひとり飲みが好きだったのかもしれない。

この原稿を書いているのは2015年の1月だが、毎年1月には、ひとり酒の退屈つぶしに最高の相棒がある。それは京王百貨店で開催される「駅弁大会」のチラシだ。これがいい酒の肴になるのだ。このことについては、次回にまた詳しく書いてみたい。

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とみさわ昭仁
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