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理不尽のここがやばい

僕は理不尽が大嫌いである。

あなたもそうではないだろうか。

理不尽だと感じながら何かをすることほど理不尽なことはない。

僕の属する野球部にもかつては理不尽なルールが存在していた。

何か仕事のミスをしたり、先輩の意思にそぐわないことがあれば即学年全体で外出禁止になっていた。

今思えば、全くもって合理性の欠けたルールだったと思う。

ミスをしない具体的な対策も立てず、ただただその日から外出禁止。
ミスした日のよるに予定なんか入っていたら最悪で、ドタキャンしてまで外出禁止に従わなければならない。

理不尽だと常々感じていたからこそ、僕らが先輩になり廃止したわけでもあるが、、

そしてこんな理不尽なことは、日常でもよく起きているように思える。
では一体人はどんな時に理不尽と感じるのだろうか。

それこそが先ほど書いた「から」で結べるかどうかなんだと思う。

つまり、理由と行動に因果関係があるかどうか。

社会学の心理的用語に”認知的不協和”という言葉があるが、人は自分の中の常識が新しい事実によって壊された時にものすごい不快感を感じる。

理不尽で言えば、さっきの例で言えば、「負けたら勝つための練習をもっとする」という常識に対して「負けたら罰走をする」という新事実が突き付けられたというとこだろう。

そして、認知的不協和が起きた場合に、人は新事実を否定するか、自分の中の常識を壊すかの二択を選ぶことになる。

選ばなければ不快感が残るため、自分を納得させる理解に落とし込むというわけである。

さて、この選択を人間は本能的にするわけだが、これを理不尽に当てはめてみよう。

理不尽なことの大半は因果関係を無視したものである。
世の中の道理というか手順というか、そういったある意味暗黙の常識と言った枠組みをぶち壊してくる。

するとどうなるだろう。
理不尽を受けた人は自分の中の常識を壊すか、その理不尽を否定するかの二択になる。

この二択において往々にして、理不尽を否定する。
そしてこの理不尽の否定は、その理不尽を突きつけてきた主体への否定になる。

まとめると、理不尽を突きつけた人は、認知的不協和によって相手から本能的に否定されるということだ。

そんなことはわかっていると思う人が大半だろう。
僕もそう思う。

しかし、どうだろう。
この主体が個人から組織になった瞬間なぜか人はこの原理を忘れてしまってはいないだろうか。

人は組織に属するとなぜか自分の判断を放棄しがちになる。組織に依存しやすくなるとも言えるかもしれない。

そうすると、理不尽は起こりやすくなる。

冒頭にあげた外出禁止がいい例だ。

端から見ればだいぶ理不尽なルールだが、その組織では当たり前になっている。
長く組織にいる先輩からすれば尚更である。

こうなると、おそらく多くの人が無意識に理不尽なことをしてしまう可能性がある。その組織の文化や価値観に従っているがためにである。

つまり結局のところ何が言いたいかと言うと、理不尽が発生する大きな原因は組織にあることが多いし、そういった組織は多くの人から本能的に否定されると言うことである。

だからこそ、例え組織を統率するためであっても理不尽な罰を与えてはならないし、恐怖で縛ってはならない。

外から見ればそっちの方がまとまった組織に見えても、内情はボロボロである。

理不尽は組織を弱くする。

だからこそこれからの時代は特に理由づけや合理的に考えていくことが必要になるんだろうな。

リーダーとなるべく存在はより辛抱強く、合理的に組織を統治していく時代が来ているのだろう。



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