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話が噛み合わないかどうかは話始める前に決まっている

「偏差値が20違うと会話が成り立たない」

なんて偏見に満ち溢れてそうなパワーワードを聞いたことはあるでしょうか?

すごく一方的で、上からな物言いだという印象を受けると思います。
僕も最初はそう思いました。

しかし、よくよく考えてみると、この言葉はかなり物事の本質をついているのではないかということに気が付きました。

この言葉は頭の良さを問題にしているのではない

まずそもそもこの言葉が示す意味を直訳すると、

前提となる常識や前提が異なると会話が成り立たない

ということです。

例えば多くの人に一斉に話しかけられて、「俺は聖徳太子にでもなったんか!」と突っ込んだとします。

(このツッコミが面白くないというご意見は承っておりません。そもそもお笑いは誰しもが理解できかつ面白い言葉で構成されるものです。お笑い芸人の方は本当に頭が良いのだと思います。)

さて、どのくらいの人がこのツッコミを理解できたでしょうか。

このツッコミは聖徳太子が一度に10人もの意見を聞き分けられたという伝説に基づいたものです。テストでも出ないような話ではありますが、非常に有名な話であり、歴史好きなら誰でも知っています。

さて、ここではこのツッコミが理解できた人とできない人ができるでしょう。

これこそが、会話が成り立たなくなる原因です。

英語などはより分かりやすいと思います。
英語で会話するためには、それ以前に単語の意味、文法などを知っている前提で話が進みます。

単語や文法というそもそもの常識が身についていなければ、会話は成り立ちません。

会話の中では、言葉にされない情報がたくさんあります。
上記の例では、聖徳太子の話という前提(常識)を知っていなければ成り立ちません。

一方で常識は人によって異なります。
同じ偏差値の学校でも文系と理系では常識は全く異なりますし、興味ある分野によっても大きな差ができます。

そう考えると

偏差値が20違うと会話が成り立たない」
         ↓
「ある分野における常識(前提知識)レベルが大きく違うと会話を含めうまく理解できない」

というように捉えることが正しいと思います。

これを分かりやすくインパクトある形にしたい誰かが、“偏差値”という言葉を使って表現したのでしょう。


なぜこの話を出したのかと言うと、この本質を理解しているかどうかで、成長するための環境づくりが大きく異なっていくからです。

この話を野球の分野を例にすると、

”野球のレベルが大きく違うと野球の分野に関してうまく理解できない”

ということです。

そしてこれの逆をとると

”野球のレベルが近ければその相手に対して深く理解できる”

ということになります。

高校野球と大学野球は圧倒的に違う

少し抽象的な表現だったのでわかりにくいかと思います。
このことをシンプルに表現すると、

高校野球をしているときに感じていたプロ野球の凄さ

大学野球をしているときに感じていたプロ野球の凄さ

は圧倒的に違う。

ということです。

高校野球をしていた時は、プロの投手が投げる球の速さや、野手の送球の性格さ、強打者のとんでもないパワーに驚愕し、尊敬を抱いていました。

しかし、大学野球の世界では体格もさらにしっかりして、野球のパフォーマンスも飛躍的に向上します。

150キロ投げる投手もザラにいますし、そんな投手も甘いコースに投げれば簡単にホームランを打たれる世界です。プロ顔負けのレーザービームを投げる外野手もたくさんいます。

つまり、”高校野球より野球のレベルが近くなった”ということです。

こうなると、プロのコントロールミスの少なさや、年間144試合という膨大な試合の中でのコンディション調整力、打球に対するスタートの切り方、準備運動の方法、厳しい状況でのマインドセット、、、など、より細かいところに凄さを感じるようになります。

プロ野球に近づけば近づくほど、無限に出てくるのではないかと思うほどのプロ野球選手の野球への取り組みの深さに気づかされるのです。

少し興味を持つだけで自分の世界は一変する

そしてこれはどの分野でも同じだと思います。

皆さんは公認会計士という資格をご存知でしょうか。

公認会計士は医者や弁護士と同じく国家資格が必要な職業ですが、あまり馴染みがないと思います。皆さんにとって常識がほとんどない分野ということになります。

では、公認会計士の資格ってどれくらいすごいかを説明できるでしょうか。

できませんよね。僕もできません。

国家資格だからすごいということは分かっても、実際にどれくらいにすごいかはわかりませんよね。

僕の友人の話だと、2年間なら毎日8時間(約5500時間)、3年間なら毎日6時間(6800時間)勉強してやっと試験を受けるレベルだそうです。

その試験も合格率は約10%

2年間であれば夏休みも、クリスマスも、元旦も全て返上して毎日8時間勉強し続け、その先の合格率10%の狭き門を突破して得ることのできる資格ということです。

どうでしょう。
少し公認会計士の情報に触れただけで、どれほど凄いかのイメージが鮮明になったと思います。

少し興味を持って情報を得るだけで、その対象がどのようなものかが以前とは比べものにならないほど理解できたりもします。

だからこそ、まずは”興味を持って調べること”が大切になります。

目標計画も常識のレベルが低いと意味がない

この理論から考えていくと、目標を立てるにしても、その目標が大きければ大きいほどそれを達成するために何が必要になるのかを理解できません。

「目標は大きく」という言葉は僕も大賛成です。
人間、目標設定によって行動が変わることは言うまでもありませんから。

ただ一点注意したいのは、大きな目標を立てたからには、それを実現するためにその目標がどのレベルにあるものなのかを認識しなければなりません。

おそらく、自分一人では無理なので、その道の先駆者やメンターに教えを乞うべきだと思います。それが厳しければ、自分の想像より10倍以上は険しい道だと想定しておくべきでしょう。

いくら大きくて素晴らしい目標を立てることができても、そこにたどり着く方法が理解できてなければ、達成することが難しいでしょう。

大きな目標を達成するためには最初に目標の実際の形を理解する

ことから始めてみるべきです。

いきなり手段を考えるのではなく、まずは自分が目指すべき先をより深く理解し、イメージしておくのです。

他人の“好き”を否定する行為がいかに愚かなことか

さて、最後に少し余談ですが、この常識レベルの違いを日常で感じるシーンはありますでしょうか。

僕は意外と日常茶飯事ではないかと思っています。

その代表例であるのが

”他人の好きなものについて話す”

時です。

よく友達が好きなものに対してよく知りもしないのにネガティブな言葉をかけていないでしょうか。

もしくは少しは知ってるつもりでどこの誰かもわからない専門家っぽく批評したりしていないでしょうか。

この行為は”愚か者の極み”だと思っています。

常識のレベルはもちろんその人の趣味にも当てはまります。
あなたが少し引っかかるようなコメントを友達の好きなものにしたのならば、友達は100倍以上の情報量で反論してくるでしょう。

(言葉にはせずとも心の中では反論の言葉を並べているでしょう)

好きなことに関しては、あなたよりも何十倍もの情報量を持っている=常識のレベルが高すぎるのですから。

皆さんも経験したことがあるはずです。

自分の好きなものがよく知りもしなさそうな人に軽く扱われてムッとした経験が。

人の好みは千差万別です。
よく知りもしない(知った気になっている人は知らないと考え直すべき)状態で個人的な(特に批判の)コメントを伝えることはいますぐやめましょう。

コミュニケーションは相手を思いやって初めてうまくいきます。
相手の”好き”を否定する行為は、コミュニケーション方法として最悪の手段です。

まとめ

さて今回もまとめていきます。

① ある分野における常識(前提知識)レベルが大きく違うと会話を含めうまく理解できない
② 野球でもなんでも、プロに近づけば近づくほどその凄さがわかる
③ 目標を達成するためには方法ではなくまずその目標のレベルを知る

自分が知らないことのの方が圧倒的に多いということは、常識のようで常識となっていません。

誰もが自分は色々なことをよく知っていると思うものです。

しかし、何か一つでもがんばって取り組んでみると、その分野でも上には上がいることを知ります。

自分が努力した分野であってもたどり着けない境地があることを知って初めて自分の無力さ、無知さを自覚するようになるのだと思います。

なので、まずは”なんでもいいのでひとつ頑張ってみる”こと。

これが世界や自分のことを知るための第一歩になると思います。


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