”同じ”人と飲み会に行き”同じ”話をすることの不利益を自粛から知るという話
久しぶりに日記を書く。
この日記は僕が本質的に気づいたことというより、直近起こった実体験ベースに気づいたことを書いているだけだが、約1ヶ月も書いていなかった。
もちろん少しサボっていたとまでは言わないが、やる気が出なかったことも事実だし、そもそも空いた時間に書こうと始めたものだからルールも作ってなかったからこうなったのだろう。
ただ、実はこの空いてしまった期間も今回の日記と関係している部分がある。
詰まるところ、あまり書く内容がなかったのだ。
直近の実体験に書きたくなる何かがなかったわけだ。日々の小さな気づきはあるにせよ、これは書いておこうかなと思うことが少なかった。
そこでその要因を考えてみたところ、結論としては
毎日同じ人と同じような会話を続けていて新しい刺激がほとんど入ってこなかった
というところに落ち着いた。
もちろんzoomなどを使って他の人とのコミュニケーションを取った日もあるが、自粛期間の大半を野球部の仲間と過ごしていた。
練習もできず外にもいけずという状況で、ただでさえこれまで一緒に過ごしてきた仲間とさらに長い時間一緒になるという状況では、ほとんど新しい刺激は生まれない。
時間を消費していた感覚に近いところがある。
そして同時に、同じ仲間と飲み会に行き同じような話をする人間に成長はないという話を思い出した。
「ああ、このような状況か」と。
もちろんその仲間と話している時は楽しいし、退屈にならない。しかし、ふとしたときにこの期間に自分に新しい刺激がないことに気づく。
毎日同じメンツ、同じ景色、同じタイムスケジュール、同じ空気。
”同じ”という言葉がゲシュタルト崩壊しそうなほど同じような毎日では成長するきっかけすらない。
ただこれに気づけただけでも大きなことだと思う。社会に出て何年か経ってから気づいていたらだいぶスタートが出遅れていただろう。
僕のいう”気づく”とは自分の頭で考えるより先に体が反応することである。人は頭ではわかっていても、実際に行動に移せないことが往々にしてある。
これにはいくつか理由があると思うが、解決手段としては実体験から学ぶということが一番手っ取り早いと思う。実体験するほど脳・体が学習することはないと思う。
つまり、気づけたというより体感できたことが大きいと言い換えられるかもしれない。
まあ何はともあれ、自粛明けにむけ日本が動き始めたと。もちろんこの期間も悪いことばかりではないが、やはりこの”同じ”から脱却できることにワクワクしている。
もちろん、感染予防だけは徹底した上で。