裁量があれば成長すると思っている人へ
こんにちは!
タクトパスです!
昨日バタバタしていたせいで、完全に記事を載せ忘れていました。毎週日曜更新と言っているのに、、、
まあでも過ぎたことは仕方ないので、前を向きます!皆さんも何か失敗したときはまずはすぐ前を向くことから始めてみてください!
自然と道が見えるようになってきますよ笑※完全なる僕の偏見です
さて、今回もやや就活ぽくありながら、野球を通して感じた成長に関する話をしていければなと思います。
就活生の裁量重視
就活をしていると、
「若いうちから裁量が大きい企業がいい」
「裁量が大きい企業に入れば自分の成長につながる」
みたいな、決まり文句的な言葉をよく耳にします。
もちろん、志ある人でなければそもそもこの言葉は出てきませんし、この言葉を発するような友達は総じて常に何かを全力で頑張っています。「裁量」を気にする学生の大半は、自分の将来に向けて前向きな姿勢を持っているのだと思います。
そんな前を向いてエネルギッシュに活動している人のことは大好きですし、中には一生付き合っていくような友達がいるかもしれません。
しかし、この裁量に関して、本質を見誤っているのではないかと感じることもあります。この本質の部分を勘違いしていると、いざ自分が裁量を持っても、思い描いた自分になれない可能性が高いです。
なので、今回は僕が思う裁量の本質を書ければと思います。
裁量って何?
そもそも裁量ってなんでしょう?
就活生だけでなく、企業の方にも
「うちは若いうちから大きい仕事任せてもらえるし、裁量もある方だよ」
と何回いわれたことでしょうか。
しかし、裁量の具体的な姿って意外に想像しにくいことが多ように感じます。
そこで僕はいつも
裁量 = 決断の及ぼす範囲 × 決断回数
だと捉えています。
内容はもうこの式の通りなのですが、この二つの要素によって裁量の大小だったり、質だったりするものがある程度わかるようになります。
マネージャー業でも、1,2年生、3年生、そして最上級生と仕事が変わるにつれ、裁量も変わっていきます。
1,2年生は指示された仕事の方法については自分の裁量で決めることができても、仕事自体を変えたり、選んだりすることはできません。僕はなかなかの効率厨なので、雑用のやり方もより楽にかつ正確にできるかを考えていました。
今思えば、決断の及ぼす範囲は小さい中でも、決断回数を増やす取り組みになっていたんだと思います。
3年生となると、小さな仕事がたくさんあるという状態から、大きな仕事をいくつか持つ状態にシフトします。3年生ではキャンプの段取りを全て取り仕切ったり、部全体の会計を管理したりするようになります。
決断回数は減るものの、決断の及ぼす範囲が大きくなります。
そして最上級生となると、大きな仕事をたくさん持つことになります。監督に次ぐ決定権を持つようになるのです。
何をやるにしても最上級生の決断が求められます。スケジュール、会計、書類、広報、道具の管理など、ほんとに全てのことに決断を下すことになります。毎日のように部に関わる決断をし続けることになります。
組織は上層部に上がれば上がるほど裁量は大きくなるわけですが、僕の経験からもわかるように、裁量を形作る大きな要素は「決断の及ぼす範囲」と「決断回数」なのです。
裁量=成長?
ここが僕の感じる大きな疑問点です。
裁量があることのメリットは成長することなのでしょうか?
というよりも、裁量があることが理由で人は成長するのでしょうか。
もしそうだと仮定すると、同じような裁量を持つ人たちは同じような能力になり、理論上は大企業に小さな会社が太刀打ちすることなど不可能なように思えてしまいます。企業の決断の規模は、世の中にどれほど影響を与えるかに近いものがあるからです。
なので僕は、人が成長するためには違う要素があると思います。
人が成長するためのもの。
それは、“主体性”を持つことです。
主体性があると、あらゆることに当事者意識を持ち、自分で考え自分で決断(結論)を出すようになります。この過程が何よりも人を成長させることにつながると思います。
よく、人は自分の経験したことしかわからないと言いますが、まさしくその通りで、主体性がある人たちはあらゆることが自分の経験になります。あらゆることを経験するからこそ、失敗も成功も重ね、成長していくのです。
僕が思う優秀だなぁと感じる人たちの共通点として、世の中のニュースなどを、自分や自分の周りの状況に置き換えることがすごくうまいということがあります。
本を読んでいて、抽象的な本質部分よりも具体例を読むことで、内容が理解できた経験のある人はたくさんいるのではないでしょうか。
これも、ニュースを自分事として捉えていなければできません。こういった小さな部分から、主体性を持って自分事にしていく癖がついている人は日々成長できます。
主体性と裁量
ここまで書いてくると、裁量自体にどんな意味があるのでしょうかと思う方もいるかと思います。
僕は、
裁量とは“主体性”を持つ環境を作る装置
だと思います。
裁量を持つと、少なからずその仕事に対する責任が発生します。自分の裁量の中で起きた結果は全て自分が関わったものになるということです。
そうなると、人は自然とその仕事が自分のものだと認識し、自分で考えるようになります。しかも、自分から進んでそうなることが多いのです。
裁量を持つことは自分を認められたことに近く、誰であれ少しはやる気が出ます。一切何も任されない状況を想像すれば、雑用すらもある方がマシだと考えるはずです。だからこそ、自分でも気づかぬ間に、主体性を自ら持つようになるのです。
もしそれでもやる気が起きないのであれば、おそらくその人にその仕事は根本的に相容れないのだと思います。その場合には、別のフィールドへ一歩踏み出す勇気も必要かもしれません。
「環境が人を作る」「周りの5人の平均が自分」といった言葉もあるように、自分を取り囲む環境はとても重要です。
いかに自分が成長する環境を作れるかで、自分自身への負担も大幅に減ります。ただここで伝えたいのは、裁量とはその環境の一部であって、成長の直接的な要因ではないのです。
「楽しさ」を生み出す裁量
先ほど、裁量を持つことでやる気が出ると書きましたが、これは起こりうる最小の好影響です。裁量を持ち主体性が生まれると、おそらく多くの人がむしろやる気に満ち溢れ、その仕事に取り組むようになるのではないのでしょうか。
「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものですが、人は誰しも好きで熱中していることに対して、無意識にエネルギーを向け続けることができます。
僕は、裁量がこの状態を生み出すこともできると思っています。
成功には圧倒的な努力が必要なことは間違いありませんが、その努力を楽しく行うことができたらこれ以上のことはないと思います。
eスポーツなどはその典型的な例ではないでしょうか。これまでは趣味の領域だったコンピューターゲームに熱中する人があまりにも多かったことで、それが一つのスポーツとして形成され始めています。人間の熱中が持つパワーをまざまざと感じさせられます。
僕自身、学年が上がるにつれ忙しさが増していく一方で、より充実感を得ることができるようになっています。役職の都合上、オフの日に外へ仕事に行ったり、朝早くから夜遅くまで働くこともザラにあります。
ただ、周りから見れば過酷かもしれないこの仕事を、僕は楽しんでやっています。それもあって、今こうして色々なことに気づくことができているのだと思います。
まとめ
今回僕が伝えたかったことは
①裁量は成長に直結しているわけではない
②成長するために必要なのは“主体性”であり、裁量はそれを得やすい環境を作っている
③“主体性“を得ることで楽しく努力できる(そのために環境作りも必要)
ということです。
ただ、そもそも裁量云々の前に、本当に優秀な人は自分で自分を成長させます。
自分が何をしたいかを明確に持っていて、そこに向かってあらゆることを吸収していくことが当たり前になっています。
おそらく、成長という概念自体が自分の目標達成に対するおまけくらいに思っているでしょう。
僕もそうなれるよう、まずはあらゆることを「自分ごと」にし、日々様々な気づきを得られるように頑張ります。