20代の会社員は借金してでも次のGWに海外を見ろ-アメリカ探訪①
やっと国境も開き、マスクも個人の自由になり、コロナから回復してきましたね。
でも、正直な感想として、あまりにも遅すぎる。遅かった結果失われたものは多かったなと実感しています。
実は2月の中頃に、プロジェクトの上司のお誘いで1週間ほどサンフランシスコに行ってきました。
その期間の中で、海外と断絶されたコロナ渦の3年間で失ったチャンスの多さに絶望しかけたので久しぶりに書き始めました。
最近周りの友達から結婚の報告を受けたり、転職の相談を受けたりすることが急激に増えました。
やっぱり社会人になって2.3年目を迎えると、少なからず何かを決断する友達を目にしますよね。
そんな中で、「自分もちゃんと決断できているのかなぁ」と考える機会も自ずと増えました。
僕が決断するときに一つ大事にしているのは、しっかりとした選択肢から選んで決断しているかどうかです。
選択肢が間違っていれば、どんな決断も無意味ですからね。
そんなことを考えていたので、このサンフランシスコツアーによって、いかに僕ら日本人の選択肢が制限されていたかということを痛感しました。
ただでさえ海外志向が弱まっている日本人が、このコロナによって3年間「海外」をより意識から外すことを強いられていたわけです。
この影響はとんでもないものだと気づいてしまいました。
とまあこんな入りですが、僕のシリコンバレーで見て・聞いて・心にグサッっときたことをまとめていこうと思います。
同じ世代の20代社会人の方には何かを伝えたくなったし、なんならこんな記事読まなくてもいいからとりあえず海外に直接体験しに行ってみてほしい。
そんなことを思いながら書いてます。
書いていたら全然まとまらなかったので、
一部:サンフランシスコで感じた日本との違い
二部:スタンフォード大の衝撃と絶望・Open AIから見える世界最前線の景色
の二部構成でお送りします。
個人的には二部の方がおすすめなので、忙しい方は二部だけ読むことをおすすめします。
二部はこちらから!
なぜアメリカ?
さて、一応この記事の前提にもなるので、本当に簡単に今回のシリコンバレー旅行の概要を書いておきます。
多様性の世界アメリカ
個人的にはアメリカは4回目の訪問。
しかしながら、過去3回は「中学生の時の家族旅行」「大学野球でキャンプのために2回」だったので、自分の意思でアメリカを回るのは今回がほとんど初めてでした。
そんな中でまず強烈に感じたことは、アメリカは自然や歴史に似ているということです。
街を歩けば本当にあり得ないくらい「違う」人々であふれています。
ブランド店で買い物する人が行き交うユニオンスクエアを通り過ぎたと思った次の瞬間、浮浪者あふれる危険度No.1テンダーロインが現れます。
欧米系の方もいれば南米系の方もいるし、中国人街にはたくさんの中国人もいます。
そんな街を歩いていると、一つ気づくことがあります。
誰も周りのことなどを気にしていない
ということです。
社会のルールは守るものの、あくまで自分の行動はすべて自分の意思であり、誰の影響を受けている訳ではないということです。
あれほど価値観や生活が異なれば、むしろ何か一緒という方が気持ち悪いです。
もちろん、内面でどう考えているかはわかりません。あくまでそのように見えるということです。
そして、こんな環境の中だともう一つ気づきます。
周囲の人は僕のことを微塵も気にしてなどいない
ということです。
みんな自分の人生しか生きていませんし、他人が何かしたところでそれは他人の話です。
僕は仕事でタスクがあふれたときや何か日常生活で困っているとき、よく自然や歴史を見に行きます。
自然や歴史を前にすると、今自分が直面している問題なんて本当に些細なことで、ただでさえちっぽけな自分のさらにちっぽけな悩みに時間を消費していることが馬鹿馬鹿しく思えてきます。
アメリカでも同じ現象が起きたのです。
僕なんてただの80億人いる人間という種族のたった一人であり、僕の人生なんて僕以外興味ない。
だからこそ、何をするもしないも自由なんだって。だからこそ自分が生きたいように生きればいいって。
多様性あふれるアメリカでは、誰もが自分の人生を生きています。
その生き方はとても人間味あふれるもので、人として生きる上で何より大事なものだと思います。
もちろん自己責任であるが故の負の側面もあるでしょう。
でも何より「自分の人生を生きる」ということは何よりも大事だと思います。
一風堂のラーメン3杯 10000円
さて、少し抽象的なことを最初に書いたので今度は具体で驚いたことを書いていきます。
① 日本の3倍?衝撃の物価
さて、皆さん一風堂はよく行きますよね?
ラーメン1杯の値段を想像してみてください。
「1000円弱かなー」なんて思ったのではないでしょうか?
サンフランシスコの一風堂では1杯2500円です。
もう一度言います。2500円です。
チップも含めれば3杯で10000円です。
メニューを見たときさすがに目を3回くらいこすりました。
それでも1杯20ドルと書いてありました。
もちろんこれだけでなく、基本的に全部高いです。本当に全部、、、
空港で4ドルのペットボトルの水を買わされた時は、「これで牛丼食べれるやん!!」なんて一人で突っ込みました。
確かにサンフランシスコは世界的に見ても物価が高いところですが、それでも明らかに日本との差を感じてしまいます。
果たして今後日本人が気軽に海外に出れるチャンスが残っているのでしょうか。
② 公共サービスは必要最低限
アメリカではもちろん電車にもバスにも乗りましたが、日本のそれとはまるで違うものでした。
椅子はプラスチック製で堅いし、すごく揺れるし、何よりきれいじゃない。
きれいな施設だとしてもトイレは日本と比べてきれいと言いがたいし、公共トイレなんて汚すぎて使えたもんじゃありません。
これはある種、多様性あふれるアメリカ社会の合理的な側面であり、見方によっては負の側面でもあると思います。
アメリカは多様性があふれるが故に「平均」というものが存在しません。誰もが「これくらいが平均だよね」と思えるようなものがない用に見えました。
だからこそみんなで使うものは必要最低限の機能だけ持たせておき、後はお金を積んだ人が積んだ分だけよいサービスを受けられる形になっています。
合理的であり資本主義の中心であるアメリカが生活にも現れているのだと実感しました。
それと同時に、日本の同調圧力というところはよく批判される一方で、逆にアメリカも日本の「平均の高さ」は真似できないとも思いました。
日本の平均の高さが必ずしも良いことばかりだとは思いませんが、単一民族・日本だからこそなせる海外との”違い”であることは明らかです。
「これを生かすも殺すも使い手次第だなぁ」とふと思いました。
③ 言語障壁の高さ
別の記事で僕は英語を使いながら仕事していると書きましたが、もちろん純ジャパですしビジネス英語になんとか食らいついていくレベルです。
つまり何が言いたいかというと、仕事でたどたどしい英語を使っているからこそ、どの程度コミュニケーションができれば仕事で通用するかの感覚を持っています。
そして結論ですが、英語が本場の場所で仕事するのはえげつないほど難しいということを知りました。
カフェくらいだったら余裕だろと思いスタバに入って紅茶を頼んだところ、全く何も聞き取れませんでした。
おそらくティーパックをどうするかみたいな質問をされたのですが、本当に何も聞き取れませんでした。
諦めて「Yes please」だけ言って紅茶を受け取りましたが、結局最後まで何を言っていたか不明でした。
もちろん、テクノロジーの発展で言語の壁はどんどん下がってきていますし、それは英語に触れる機会が多いからこそ他の人よりも実感しています。
ただ、やはり対面でのコミュニケーションほど人との関係を深めるものはなく、ビジネスでもプライベートでも例外なく必要なことだと思っています。
よくグローバル人材がどうのこうのみたいな話を聞きますが、「言うは易く行うは難し」ですね。
本当にどれほどこれをやりきるのが難しいのかを改めて突きつけられました。
第二部へ
さて、ここまで書いてきましたが、これまた長くなりそうなので二部に分けようと思います。
スタンフォード見学編、Open AIの人と話した編といったザ・シリコンバレー最前線の体験をそちらでは書いていきます。
スタンフォードを見て今までの自己投資がどれほどチープだったかを痛感した話や、Open AIで働く人にとって日本ってどう見えているのかといった話を書いていきます。
今の日本では絶対に体験することのできないことの連続で、視野がとんでもなく広げられたというかもはや壊されました。
どちらかというと、こちらが本編なので是非ご覧ください。