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なぜ僕がめんどくさくて嫌いだった自己分析を好きになったか
突然だけど就活生の皆さん(社会人の人もかも)、自己分析がめんどくさいと思ってない?
というのも、僕自身その一人だったから。
自分の強みだの、挫折経験だの、将来やりたいことだの、テンプレートに沿った質問に対してオリジナリティ溢れる答えを返す。
これがまぁめんどくさいし、なかなか気が進まなかったというのが正直なところだ。
しかし、あるときふと気づいた。
自己分析は自分が何か新しいことをするわけでもないのに、人生を豊かにすることができるスーパーアイテムだということに。
僕が気づいたのは、
自己分析=過去の再定義
ということだ。
僕自身、未来志向型人間なので過去を深掘りされる質問をたくさん考えることはそんなに好きではなかった。
どちらかと言えば、どんな経緯であれ過去から形成された今の自分の目線から見える将来を深掘りしたかったのである。
しかし、就活で必要な自己分析は過去のことが中心なわけだ。
そこで必要に駆られて過去を分析したことが、思いがけない結果につながったのである。
それこそが、過去の再定義なのである。
もう少し具体的に書こう。
例えば、僕は怪我を機に高校一年生で選手からマネージャーに転身したわけだが、これは甲子園でプレーするという高校野球の大目標を達成する可能性を0にした選択だ。
もちろん当時ものすごく悩んだし、その選択肢が間違っていたとも思わない。
決勝で負けて甲子園にはあと一つ届かなかったが、最高の高校野球人生だった。
ただやはり高校野球を見る度に「選手として挑戦したくなかったか?」と問われると、胸を張って否定できる自分はいなかった。
しかし、就活でもう一度深くこの選択について考えてみた。
すると、考えれば考えるほどこの選択が良かったことに気づいた。
もしあの時マネージャーになっていなければ、、、
大学で野球を続けていなかっただろう。とすると、大学野球を通して得た人生の糧となる経験も皆無なわけだ。
学生という立場で組織という大きな視点で物事を見ることもなかっただろうし、たくさんの後輩を統率する経験もできなかっただろう。
プロ野球がどれほどすごいかもわからなかったし(プロに近づけば近づくほどその凄さがわかる)、同世代で日本トップクラスの何か(僕の場合は野球)を持っている人にも出会えなかったと思う。
とにかく、書き切れないほど良かったことが出てきたのだ。
別に何も真新しいことは何も書いていない。
それまで感覚的だったことを自己分析で改めて考えて言語化してみただけだ。
たったこれだけのことで、今までの認識以上にその過去がすごく良かったものだと思える。
マネージャーという選択が選手よりも良かったと思えるほどに。
つまり、
自己分析をすることでどんな過去でも良いものに解釈できる
ということだ。
よく言われることだが、過去の事実は変えられないが、過去の意味づけは変えることができる。
たとえネガティブだと思う過去があっても、その過去に向き合い考えれば、必ず何かしらの良かったことが見つけ出せるはず。個人的にはこじつけでも良いと思ってるくらいだ。
そうしているうちに、自分だけの経験が話せるようになるし、自分が何者かもわかるようになるはずだ。
人生は経験の集合でできる。
=過去の集合でできる。
なら、その過去を良いものにすれば、人生も自ずと良いものになる。
おそらく多くの人が幸せな人生を歩みたいと思っているだろうが、僕は自分自身の認識を変えるだけでもだいぶ幸福度が変わることに気づいてしまった。
自己分析を通して。
それをするきっかけをくれた自己分析にはものすごく感謝してるし、みんなにも気づいてほしい。
これから就活迎えるみんなが羨ましい。
なんてったって、自分の人生がどれだけ良かったかに気づく瞬間がその先に待っているのだから。
僕自身自己分析は一生続けていくし、どんどん人生の認識をアップロードしていきたいと思っている。
自己分析は決してめんどくさいものではない!
むしろ楽しいものだ!
是非それを感じながら自己分析をしてみて欲しい!
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