僕が野球部のマネージャーになった理由
こんにちは!
最近ふと気がついたことがあります。これまでマネージャーという目線からnoteを書いてきているのに、自分がマネージャーになった理由や経緯を書いていなかったと。
なので今回は、なぜ僕が野球部のマネージャーという道を選んだかについて書いていこうと思います。
プレーヤー人生
僕は小学1年生から軟式野球を始めました。6年生では副キャプテンを務め、チームの中軸選手として順風満帆な野球生活を送っていました。
しかし、中学生になり硬式野球のクラブチームに入ると、補欠に回るようになりました。出場するとしても、得意なバッティングでの代打のみで、野球選手として充実していたものではありませんでした。
そこで、僕は何とかチームの勝利に食い込むために、自分ができることは頭を使うことと声を出すことくらいだと考えるようになりました。今となってはもっとやるべきことはあったと思いますが、当時は当時で精一杯でした。
その甲斐あってか、選手だけでなくコーチたちともコミュニケーションが増え、チーム内でもある程度必要性のある人間になれていたと思います。
しかし、中学2年生から3年生に上がるタイミングで腰に大きな怪我を負い、最後の夏の大会でもプレーできないことが確定的となりました。
身体的にも精神的にもダメージは大きく、一時は何もする気になれませんでした。もちろん、診断を受けた日は一晩中泣いた記憶があります。毎週の練習も何のために参加しているかわからなくなっていました。
そんな僕を見かねてか、コーチたちが僕に他チームのデータ収集や1年生の指導を任せてくれるようになりました。そのお陰で、自分の存在意義をもう一度考えることができ、その後は平日の自主練習ですら手伝いのためだけに向かうようになりました。最後の大会では監督の計らいもあり、ベンチにも入れてもらえるようになりました。
結果、チームは県大会を優勝し全国大会へ進むことができ、引退後の高校受験も成功。苦難にぶつかっても、前進することの大切さを知ることができました。
マネージャーへの転身
念願の高校入学後は、心新たにもう一度野球選手として挑戦するつもりでいました。
しかし、怪我は思うように治らず、その上同期は中学硬式野球のトップレベルで戦ってきた選手ばかりでした。正直お先真っ暗で、自分の将来像に対して希望もない状態でした。
精神的にも、怪我を負った直後に近いものがありました。
一方で、野球を諦めきれない自分もいました。それまで9年間自分の人生を作ってきた野球を不完全燃焼で離れることは絶対に後悔するとも思いました。
そこで、高校の担任でもあった野球部の監督に相談しに行くことにしました。
これが僕の人生の転機になります。
監督に選手として続けていくにあたり現状何も見出せないこと、それでも野球からは離れたら後悔すると思っていることを率直に伝えたところ、「だったらマネージャーやってみたらどうか」と提案を受けました。
当時は、正直マネージャーという役職について決してポジティブな印象は持っていませんでした。野球部を陰で支え、様々な雑用をやっているというイメージがあり、決して自分を表に出さない、受動的な役職だと思っていたからです。
ただ、実際話を聞いてみると想像とは全く違った世界が広がっていました。僕の高校の野球部のマネージャーは、ジャグも作らなければ、ボール出しやタイム測定をすることもありません。その代わりに、会計をまとめたり、書類を作ったり、発注を含めた道具の管理をしたり、大会の抽選を引いたりと、チームを運営するのに欠かせない仕事を担っていました。
そのため、毎年選手間でミーティングを重ね、絶対誰か一人はマネージャーに選出しなければならない決まりもありました。
想像とはあまりにも違うマネージャーという職務を目の当たりにして、僕の中の興味が一変しました。選手以外の立場でチームに大きな力を働かせられることや、誰かが絶対にやらなければならないほどのポジションであることに大きなやりがいを感じました。
提案を受けて帰宅した日は一晩中自分の進路について考えました。親にも相談し、今までの野球生活を振り返りました。その中で、「最後は自分で決める」。これだけは絶対にブラさないようにしました。
そして、決心しました。
マネージャーになると。
一度決心をしてから涙が出てきたことを今でも覚えています。当時の自分の中では本当に大きな決断でした。
そこからは本当に目まぐるしい毎日でした。野球部に属するとはいえ、やることは全て初めてのことばかりです。あっという間に最終学年になっていました。
振り返ってみると野球を無性にしたくなったり、雑用に追われたりといった時間があるものの、チームを動かす立場として仕事をすることはとても充実していました。
甲子園にはあと一勝届きませんでしたが、それでも高校野球を諦めなくて良かったと心の底から思いました。
人生2度目のマネージャーという選択
高校野球引退後からは大学進学後の進路について迷うようになりました。
大学野球を続けるか、はたまた別の道を選ぶか。
僕は進路を決めるにあたり、せっかく自分の好きなことに打ち込める最後の時間になるかもしれないと思っていたので、絶対4年間通して軸となることをやろうと決めていました。もちろん社会人になっても好きなことで生きていけるように頑張りますが、何も顧みず好きなことができる期間は最後かもしれないと思っていました。
勉強して、留学して、起業して、みたいなこともアリだなとも思っていました。とにかく一生を振り返って何かに没頭した4年間にしたかった。
そして僕は再びマネージャーという道を選びました。
こここには3つの大きな理由があります。
① 野球をやる側で打ち込めるのはこれが最後(留学・起業などは極論卒業後もできる)
② 人生の大半を共に過ごしてきた野球の集大成を披露できる舞台がある
③ 何より、野球というスポーツが好き
ということです。
こうして僕は今現在マネージャーを続けています。
正直、後悔は全くありません。
むしろこの道を選んで本当に良かったと思っています。
野球部の外には、多くの友達がそれぞれの想いを持って大学生活を過ごしています。ときにはその生活を羨ましく思う時もあります。ただ、月日を積み重ねれば重ねるほど、自分の選択が間違いではなかったことを実感します。
マネージャーという道を選んで気づけたこと
これまでのマネージャー生活を通して、人生の決断における大事な要素が少し分かった気がします。
それは、
・世界は必ずしも一つの側面から見たものだけが正しいわけではない
・“今”しかできないことをやる
ということです。
もちろんこれ以前に、自分が好きなこと・自分のためになることという中での選択という前提があった上での話です。
野球界は誰が見ても、グラウンドで活躍する選手が花形で、野球をプレイすることが何よりの醍醐味だと思います。そこについては大賛成ですし、これこそ野球の根源です。
ただ、その一方で、マネージャーをはじめとしたサポート側が、野球から受ける恩恵が選手より劣っているかというと、全くもってそうではないと思うことも事実です。
僕自身、マネージャーをやったからこそ、“チーム”が勝つことを誰よりも喜べるし、仲間との繋がりが何よりも大切だということを実感しました。これもまた野球の根源であり、スポーツの真髄のひとつのような気がします。
マネージャーという選択をしたからこそ、野球の新たな側面を見ることができ、さらに素晴らしいものだと感じることができるようになりました。よく多面的に物事を捉えろと言われますが、まさにその通りだと思います。
また、僕たちが生きるこの時代は情報が爆発的に増え、人々がSNSなどを通して常に繋がり合う時代です。そのため、何かをするときに必ずと言っていいほど相対的に判断しています。
相対的な判断とは、周りと比べて、そして周りから見られる自分を考えて判断するということです。
しかし、相対的な判断をしてしまうと、必ずどこかでその判断を疑うタイミングがきます。自分より周りの方が良い生活をしていると思った瞬間、自分の判断が間違いだと思ってしまうからです。なにせ、判断の基準が周りと比べてより良いと考えたもののはずですから。
だからこそ、周りの何かに影響されるのではなく、自分が“今”何をしたいかで考えることが重要です。“今”できることは人によって異なり、自分の中にのみ最優先事項であるはずです。この基準で判断すれば、自分の決断を信じて目標達成まで全力で駆け抜けることができると思います。
僕も留学に行った友達や、ビジネスを始めている友達はすごく羨ましいです。僕とはまた違った経験をして、自分が輝く世界を知ったのだと思います。ただ、野球を捨ててまでそちらの世界に行きたいかと問われれば、全くもってそうは思いません。“今”しかできない野球生活か僕にとっては何よりも大切だからです。
マネージャーという経験を通したからこそ得られたものはたくさんあります。
もし何かを決断することを迷いながらこれを読んでいるのであれば、今一度、「“今”自分が何をしたいか」を考えてみてはどうかな、と思います。
最後に
今回はまとめることもないので、最後にという形です。
よくマネージャーって大変な仕事だよねと言われますが、僕はそうは思いません。これまで書いてきたように、自分で選んで、そしてその道が正しかったと確信しているからです。
これからの人生では、もっと大きな決断を迫られる場面に何度も遭遇することでしょう。そんな時こそ僕の原点に立ち返って、どんな決断をすべきか見極めていきたいと思います。