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競輪選手のハラスメント報道から考える、スポーツ業界におけるハラスメント問題


1 はじめに

 厚生労働省が公表する「令和5年度雇用環境・均等部(室)における雇用均等関係法令の施行状況について」によると、令和3年度から令和5年度まで3年連続で、セクシャルハラスメント(いわゆる「セクハラ」)及びパワーハラスメント(いわゆる「パワハラ」)に関する相談の件数が増加しており、これらをはじめとするハラスメントは、近年社会的に注目されているコンプライアンス違反の一つであるといえます。ハラスメントに関する法制度は、主に職場における労働者保護の場面で論じられることが多く、例えば、事業主のセクハラ防止措置義務が男女雇用機会均等法において、事業主のパワハラ防止措置義務が労働施策総合推進法においてそれぞれ定められています[1]。

 他方で、職場だけでなく、部活動やスポーツチームなど、スポーツに関して形成された人間関係においても、いわゆるハラスメントが問題となることがあります。本年10月には、ある女性競輪選手が先輩男性選手から性行為の強要を含むハラスメントを受けたとして、当該男性選手、一般社団法人日本競輪選手会、公益財団法人JKA(競輪競技の統括団体)に対し損害賠償を求める訴訟を提起したことが報道されました。本訴訟は、選手会や統括団体といった組織が、ハラスメントの調査や防止措置についてどのような法的責任を負うかを問題としている点で、今後の動向が注目されます。競輪界を巡っては、ある女性選手が「師匠」(指導役の先輩選手)からセクハラ又はパワハラにあたる言動を受けたとして、当該師匠に対して民事訴訟を提起した事案について、本年4月、当該女性選手の主張が一部認められる形で、当該師匠に対して損害賠償を命じる高裁判決が下されたばかりであり(以下「本件競輪事案」といいます。)、競輪界のハラスメントに対する向き合い方が注目されるところです。

 本記事では、スポーツ業界におけるハラスメントの定義やハラスメントに関する裁判例等を紹介し、スポーツ業界におけるハラスメント問題の現状を検討します。

2 スポーツの場面におけるハラスメントの定義

 一口に「ハラスメント」といっても、どのような言動を「ハラスメント」と定義するかは、その検討の場面によって異なります。

⑴ 法令上のハラスメント

 実は、法令上、ハラスメントは、男女雇用機会均等法や労働施策総合推進法などの労働関係法令において定義されているにすぎません。すなわち、職場の人間関係を前提としない言動は、法令上のハラスメントには該当しないことになります。とはいえ、法令上のハラスメントは、下記⑵以下の場面におけるハラスメントの定義を検討する上で前提とされる概念であるため、その定義について理解する必要があります。

(ア) パワハラについて

 労働施策総合推進法第30条の2第1項は、「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって(①)業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより(②)その雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう(③)、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」と定めています。同項に違反した場合、事業主に対して厚生労働大臣による行政指導(助言・指導・勧告)がなされ、勧告によってもなお改善されない場合には、事業主名が公表されうるとされています。

 どのようなケースが上記①~③の要件に該当するかについては、令和2年厚生労働省告示第5号「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(いわゆる「パワハラ指針」)」をもとに判断することになります。同指針の内容は、厚生労働省が公表するパンフレット[2]に整理されており、該当性判断の際に参考になります。とくに実務上は、上記②の該当性判断が問題となることが多いです。

(イ) セクハラについて

 男女雇用機会均等法第11条第1項は、「事業主は、職場において行われる(④)性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により(⑤)当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう(⑥)、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」と定めています。パラハラと同様、違反した場合は行政指導の対象となりえます。

 セクハラについても、平成18年厚生労働省告示第615号・令和2年厚生労働省告示第6号「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(いわゆる「セクハラ指針」)」が定められており、これをもとに上記④~⑥の要件に判断することになります。こちらも前掲パンフレットに指針の内容が整理されており、該当性判断の参考になります。

⑵ 損害賠償請求訴訟におけるハラスメント

 上記⑴のとおり、労働関係法令は、事業主(使用者)に対して雇用管理上必要な措置を講ずることを義務付けたものにすぎず、同法の違反が、ハラスメント被害者による損害賠償請求の直接的な根拠となるわけではありません。すなわち、被害者から加害者に対する損害賠償請求が認められるためには、別途、不法行為責任(民法709条)の成立要件(ⅰ故意又は過失 ⅱ他人の権利又は法律上保護された利益の侵害 ⅲ損害の発生 ⅳⅱとⅲの因果関係)を満たす必要があります。また、被害者が事業主に対する損害賠償請求を行う場合には、被害者と事業主との間の雇用契約上の安全配慮義務違反(民法415条)や、加害者の不法行為に関する使用者責任(民法715条)が成立しなければなりません。上記⑴で言及したパワハラ・セクハラ指針で挙げられた視点と上記ⅱの判断基準や安全配慮義務の内容を検討する際に考慮する視点は重なるものが多いことから、損害賠償請求訴訟の場面でも実質的にパワハラ・セクハラ指針に挙げられた視点を考慮する場合は多いと思われます。

 上記ⅱの判断基準は、裁判例上、多様な考慮要素を挙げつつも、つまるところ「社会通念上相当性を欠いていたか否か」という抽象的な基準で判断されているものが多く見られます。例えば、本件競輪事案の第一審判決(高松地判令和5年9月29日(令和3年(ワ)第414号)では、「他人の意に反する言動は、当該言動の内容及びその状況、行為者及び相手方の性別・年齢・地位・社会経験等の属性、両者のそれまでの関係性、相手方の対応、当該言動の反復継続性等を総合的に見て、当該言動が社会的見地から不相当とされる程度のものである場合に、人格権を侵害するものとして違法となると解される」という一般論的な基準を示すにとどめています。

 他方で、関連法規や業界団体のガイドライン等、個別具体的な背景事情を踏まえて判断基準を設定している裁判例もあります。例えば、高校バスケ部生徒が部活動顧問教諭から暴行や威圧的言動を受けたことが原因で自殺したとして、遺族が当該教諭に対し損害賠償請求した事案(東京地判平成28年2月24日判タ1432号204頁)では、上記ⅱについて、学校教育法11条但書の定めに鑑み、「教員の生徒に対する指導の過程における有形力の行使(体罰)は、すべからく教育上の指導として法的に許容される範囲を逸脱したものとして、不法行為法上違法と評価される(暴行としての違法性を阻却されるものではない)ものというべきである。」と判示しており、当該事案が学校教育の現場で起こった事案であることを考慮した判断基準を示しているといえます。

⑶ JSCが定義するハラスメント

 独立行政法人スポーツ振興センター(以下「JSC」といいます。)では、トップアスリート(オリンピック代表選手や強化指定選手)に対して直近4年以内に行われたスポーツ指導における暴力・ハラスメント行為等を対象とする相談窓口が設置されています。JSCでは、パワハラを「同じ組織(競技団体、チーム等)で競技活動をする者に対して、地位や人間関係などの組織内の優位性を背景に(ア)、指導の適正な範囲を超えて(イ)精神的・身体的苦痛を与え、又はその競技活動の環境を悪化させる行為(ウ)」と定義し、セクハラを、「性的な行動・言動等であって(エ)、当該行動・言動等に対する競技者の対応によって、当該競技者が競技活動をする上での一定の不利益を与え、もしくはその競技活動環境を悪化させる行為、又はそれを示唆(応じないことで指導をしない等)する行為(オ)も含む。」と定義しています。(ア)~(オ)いずれも、上記⑴で示した労働関係法令上のハラスメントの定義を競技団体やチームに置き換えたものとなっています。
 
 なお、JSCの相談窓口では、調査の結果ハラスメント行為が認定されたとしても、JSCが行為者に対して直接処分を下すことはできず、あくまで各競技の中央競技団体(NF(National Federation))等に対して勧告や助言を行うことができるにすぎないとされています。

⑷ 第三者委員会の調査におけるハラスメント

 第三者委員会は、当事者や所属企業・団体と利害関係のない第三者(弁護士をはじめとする専門家)が問題となった事案の事実関係を調査し、調査の結果認定された事実関係をもとに発生原因の究明や再発防止策の策定などを行う組織のことをいいます。第三者委員会は、公的な調査権限を有するわけではないため、関係者の任意協力による調査に依拠せざるを得ないという点で事実認定に制約があるものの、発生原因を特定した上で迅速かつ柔軟な再発防止策の提言が期待できる点で、近年多くの不祥事事案で利用されています。

 第三者委員会の報告書においては、必ずしも民事上の損害賠償責任や懲戒処分といった責任論を主題としているわけではなく、個別の調査目的に照らし、又、社会情勢に与える影響にも配慮した評価を加えることになるため、ハラスメントの定義は上記⑴~⑶に捉われないものとなっています。

 例えば、平成30年4月5日付公益財団法人日本レスリング協会の第三者委員会による報告書では、上記⑴(ア)の職場におけるパワハラの判断基準のうち[3]、②について、同協会の制定する倫理規程の定めを指摘した上で、「フェアプレーの精神」や「公平性及び公正性」の観点に立脚し、「スポーツの価値を損なう不適切な行為」であるか否かを判断基準とすべきとしています。また、平成30年12月6日付公益財団法人日本体操協会の第三者委員会による報告書では、上記⑶のJSCのハラスメントの定義を前提としつつ、「パラハラに擬せられる行為にもその軽重に大きな隔たりがあり、刑罰法令に触れるものから、民法上の不法行為に当たると考えられるもの、そこまでいかないが不適切な行為といえるものなどがある。しかし、現在の社会においては、パワハラの用語自体が一人歩きし、一律にかなり重い否定的評価を含んだものとして受け止められる傾向にある。」とし、どのような行為をパワハラと呼ぶか慎重な考慮が必要であるとしました。その上で、同委員会が認定するパワハラは「単に一般的常識的に不適切ということにとどまらず、違法性を帯びるものや各組織・団体において懲戒や懲罰の対象となりうるような、悪質度の高い否定的な評価に値するもの」であるとされています。

3 ハラスメント事案における事実認定

 上記2のとおり、ハラスメントの定義はその検討の場面によって異なり、その評価は容易ではありません。さらに、被害者の申告する事実関係には、関係者の供述以外の証拠がほとんど残されていないようなケースが多く、ハラスメントか否かの評価を加える以前の問題として、関係者の供述のうちどの供述を信用し、事実関係を認定するかという問題があります。

 一般的に、供述の信用性判断の場面では、①供述と客観的証拠との整合性②供述内容の変遷の有無③供述内容の合理性、具体性④供述の動機や供述者と当事者と間の利害関係などを考慮します。

 例えば、本件競輪事案の控訴審判決(高松高判令和6年4月24日(令和5年(ネ)第292号、同第326号)では、原告(被害者)は、全部で10の言動がセクハラ又はパワハラに該当すると主張していたものの、そのうち裁判所が事実として認定した言動は、わずか2つ(うち1つは「指導の範囲内の言動というべきであり、社会的相当性を逸脱しない」としてハラスメント該当性が否定されています。)だけであり、事実として認定された2つの言動は、いずれも同様の趣旨の発言があったことを被告(加害者)自身が認めたものでした。その他8つの言動は、以下のような理由から事実として認定されませんでした。

  • 言動をしたことを認めるに足りる客観的な証拠がない(上記①)。

  • 被害者の供述内容と時系列(いつ、どこにいたか)が整合しない(上記③)。

  • 加害者が被害者の行動を容認する内容のメッセージを送っており、加害者が後になって当該行動について被害者を叱責することは考え難い(上記③)。

  • 訴訟提起前に実施された選手会の電話面談の場で、被害者が一通り被害申告をし終えたと考えるのが自然であるのに、当該面談において被害者が該当する言動について申告していなかった(上記②)。

  • 選手会の電話面談で申告した加害者の発言内容と本人尋問において供述した加害者の発言内容が異なり、供述に一貫性がない(上記②)。

 本件競輪事案は、「ハラスメントが認定されて損害賠償請求が認められた」という結論部分のみに着目すると、被害者の主張が概ね認められたかのような印象を受けてしまいますが、実際には、被害者が主張する多くの言動は事実として認定されておらず、ハラスメント事案の事実認定が容易でないことを示唆する事案であると思われます。

4 スポーツ団体のハラスメント事案への対応

 ハラスメントの疑いがある事案が発覚した際、スポーツチーム、協会等(以下「スポーツ団体」という。)には、被害者とされる人物と加害者とされる人物の間の中立的な立場から、①相談された事案についての事実調査②関係者への処遇(被害者の保護、加害者に対する処分等)の決定③再発防止策の策定を行うことが期待されます。被害者がスポーツ団体の対応に納得しない場合には、上記報道の事例のように、被害者が加害者のみならずスポーツ団体に対して法的責任を追及することもありますので、スポーツ団体としては公平な立場から適切な対応が求められます。

 スポーツ団体の場合、選手と団体との関係が一般企業における雇用関係のような明確な法律関係にないため、団体内の機関が当事者に対し適切な調査・処分を行うためには、関係規程を整備し、当該機関の権限の裏付けをする必要があります。この点、公益財団法人日本サッカー協会が各種規程を整備し、公表しており、参考となります。

 また、発覚した事案が選手間の単発的なトラブルにとどまらず、組織的な問題に発展する可能性がある場合は、調査・処分等について客観性・公平性を担保することが難しくなるため、早期に外部の専門家(弁護士等)を交えた調査体制を構築する必要があります。

5 最後に

 スポーツ業界におけるハラスメント事案については、ハラスメントそのものの事実認定・評価が困難であるといった問題だけでなく、選手らとスポーツ団体との間の法律関係をどのように捉えるべきかといった業界特有の問題があり、現時点で対応策が確立されているわけではありません。近年、職場におけるハラスメントに関しては、ハラスメント防止措置に関する法改正が盛んになされており、スポーツ業界においてもハラスメントに関する議論が進み、選手が安心して競技に専念できる環境が整うことが期待されます。


弁護士 田川瑛久(松田綜合法律事務所)
2022年12月弁護士登録。労働法務の案件を多く担当している。スポーツ関連法務に関心がある。


[1]その他にも、マタニティハラスメント(妊娠・出産)、パタニティハラスメント(育児)、ケアハラスメント(介護)等も、法令上、事業主の防止措置義務が定められています。
[2]「職場におけるパワーハラスメント対策・セクシュアルハラスメント対策・妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント対策は事業主の義務です!」
[3]当時は労働者施策総合推進法上の事業主のパワハラ防止措置義務(第30条の2~第30条の8)の規定が新設される前であったものの、平成30年3月には厚生労働省から「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討報告書」が公表されており、同報告書内で、パワハラを認定する要素として上記2⑴(ア)①~③が挙げられていました。




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