劇団を立ち上げた車椅子の役者というもの。
久しぶりのブログ。ちゃんと書かないとだ。
タイトルだが、俺は今年3月に「ゲキ集団BumpyBox」を立ち上げた。昨年4月に26年振りに舞台復帰。車椅子では絶対に芝居やらないと決めてたし思っていたのに26年を経て復帰。なぜ復帰したかという経緯は「車椅子で役者をやるもの」にツラツラと書いているので割愛。兎に角、復帰した。
これを読んでる人がどう思うか分からないが「やりたい」と思ってすぐに出来る事ではない。車椅子で芝居?自分自身だって想像出来なかった。正直言えば今でも写真や動画を見た際、違和感があるのだ。なぜか?おそらくそれを舞台で見た事がないから。何より自分の動きが気持ち悪い。人にどう見えてるのかもあまり言わないが凄く気になっている。
「なんで車椅子?」
誰もなりたくてなった訳ではないし、車椅子で出たい訳なんかほんとはない。自分自身でさえ受けいれきれていない。見た目を人一倍気にもする。舞台にいる時は気づかないが、写真や動画を見た時はかなり凹む今でも。
しかし、俺は今やっている。そんな俺がなぜ劇団を立ち上げるまでに1年でこれたのか?これは自分自身の意思が1番なのはいうまでもないが、昨年から一緒にやってきてくれた仲間といえる者が出てきてくれたが本当は1番の理由だ。23歳の時に劇団を解散してから26年振りに一緒にやっていきたいと思える人に出会えた。これは色んな縁やタイミングがあったからだ。
復帰してからのそれまでの1年は本当に楽しいという感情といつ辞めようかのせめぎ合いだった。これ以上は無理、限界だと何度も思った。芝居に勝ち負けがある訳ではないだろうが、勝てないと常に思ってきた。「障害があるとかないとかは関係ない」はないものの詭弁だ。特に芸術、舞台演劇など観られるものには辛い言葉だ。
しかし、まだやっている。おまけに劇団を立ち上げた。何故か?
今でも舞台演出家として考えた時、役者をやってる自分を適材だと思った事は一度もない。「立位だったら」がいつも頭を過ぎる。演出をする際も大変だ。動きをつける際にも車椅子の俺は動いて演出をつける事が難しい。言葉と動かない四肢を必死に使い伝える。「立位だったら」がまた過ぎる。
そんな不自由な俺の演出を聞いてくれて、また役者としての出演をよしとして一緒に芝居をしてくれる人が周りにいてくれた。一緒にやりたいといってくれる人がいた。普通にやれる演出家や役者が沢山いるにも関わらず。
そんな恵まれた環境を捨てる事、出来ますか?
自分にはまだまだ自信なんてない。この状態で「演劇をやる」という事を情けないがまだ受け入れ切れていない。でも大好きな芝居をやれる環境を周りが作ってくれた。その幸せな環境を俺は捨ててはいけないのだ。次はない。
だから劇団を立ち上げた。
だから俺はこんな時世になっても芝居の幕は降さない。色んな意見はあるだろう。
「少しやめといたら?」
その少しとはいつまでですか?絶対にやってはいけない環境ではない限り、俺は精神を殺したくない。1人でも一緒にやろうと言ってくれる人がいるまでは俺は舞台を作り舞台に立ちたい。自分達の劇団で。
そしていつか、今の自分の演技を自分がちゃんと観れるようになるまで。