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深き水の葉 ざわざわ、もやもや、緑色

この記事では、2024年に大阪公立大学杉本ギターマンドリンクラブ様から委嘱されて作曲した、「深き水の葉」についての作曲経緯などについて解説します。

初演:2024年11月30日 大阪公立大学杉本ギターマンドリンクラブ 大東市立文化ホール(サーティホール)

作曲経緯

ご依頼があったのは2024年の4月初旬でした。
大阪公立大学杉本ギターマンドリンクラブ様の定期演奏会の第三部は「緑」を連想させる曲で構成するということで、そのラインナップに加えるための作曲委嘱でした。
曲調はゆったりとしたものをご希望で、依頼の時点で藤掛廣幸さんの「山河緑照」も演奏されるという情報はわかっていました。

緑を連想させる曲

「緑」を連想させるというお題の時点で、曲名に「緑」を入れないようにする、ということは決めました。
入れてしまうと直接的すぎて面白みがないな、と思ったからです。

そして、藤掛廣幸さんの「山河緑照」が同じ枠組みで演奏されるのであれば、それと似たような雰囲気にするのではなく、差別化した方が良いだろう、ということも決めました。
そこで、山河という大きな視点ではなく、小さな視点にしてみようということになりました。

小さな緑はどこに

曲はゆったり、長さも3〜4分ということなので、小さな視点で選んだテーマとの相性は良さそうでした。

まず、緑と聞いて、私は自然を連想しました。
自然の中でも森となるとやや大きな視点ですから、もっと小さなものに注目してみると葉っぱに行き着きます。
しかしそのままではあまりに緑すぎるというか、ストレートすぎるな…とあれこれ悩んでいました。

偶然に出会った西行の短歌

そんなときに、気分転換というわけでもないですが、録画していたある番組を何気なく見ました。

それが2024年4月7日放送の、『NHKスペシャル Last Days 坂本龍一 最期の日々』です。

番組自体が面白くてついつい見入っていましたが、その中で、坂本龍一さんが残した晩年の日記の中にメモ書きされていた、12世紀の歌人・西行の短歌が紹介されたのです。

水底(みなそこ)に深き緑の色見えて風になみ寄る川柳(かはやなぎ)かな

山家集・西行

詳しい意味や解釈を考える前に、これだ!という直感がありました。
水底の深い緑色、これが今回テーマにすべき情景だ、と決めたのです。

この短歌では、水底が緑になっているのは、川べりに生える柳の葉の緑色が反射してそう見える、ということですが、柳という水上の要素を捨ててみて、すべて水の中で完結できないか?と考えました。

そこで思いついたのが、バイカモなどの水草が清い川の流れになびく情景です。
そうすれば、小さな視点でありながら、川の流れの変化に乗って様々な場面を曲に与えられるのではないか、と考えたのです。

結果的に西行の短歌の内容とは違うものになりましたが、テーマ設定をする上で重大なヒントとなってくれました。

ざわざわ、もやもやを表現する

「緑」がテーマでありつつ、緑そのものを直接的に扱うのではなく、葉に反射した光が緑色に水中を満たし、川の流れとともに光が移ろっていく様を扱う…。
こういった音楽には印象派の音楽が適しているかな、と思ったので、今回は例えばドビュッシーのような雰囲気を目指してみました。

ちょうど2023年の年末から2024年初めにかけて、ドビュッシーの「月の光」や「小組曲」を編曲していたので、その経験の良いアウトプットにもなるな、とも思ったのです。

具体的な書き方でいうと、スケール(音階)を埋めていくような書き方ですね。

例えばこの「水の反映」を聞くと、曲が和声進行・コード進行で推進されているというよりも、その場その場の雰囲気の変化で曲の流れができている感じがしませんか?
やろうとすればここの箇所の和音はこれ、と言えますが、それよりもここの箇所で使われているスケールはこれ、と言った方が使われている音の法則がよくわかります。
専門用語でいうと、偶成和音という非和声音を活用する書き方ですね。

こういったやり方だけで曲を構成するのも良いのですが、多少はエンタメ性を持たせたいと思ったので、「深き水の葉」では中間部で特に印象派的なテクニックを使っておいて、それ以外の箇所は比較的にはっきりしたメロディを持ってきて、ある程度の聴きやすさは担保する、という作り方にしています。
展開に変化も出ますし、ある意味でお手軽に印象派の雰囲気を楽しめるのではないでしょうか。
全編が印象派になってしまうとただの焼き直しですし、わかりにくくなりすぎてしまう恐れがあります。

ただ、最後の和音はなかなか攻めています。
最後の音で使われている音は低い順にF,C,A,E,G,D,H,Fisです。
勘の良い方は、最後のFisに違和感を抱くのではないでしょうか。

なぜなら、それ以外の音はすべてコードネームで言えばFM7(9,+11,13)とスッキリ表せるのに、Fisだけはスケールから外れる音だからです。
しかし、ここは実際にはFM7とGM7を同時に鳴らしている、という部分なのです。
FM7=[F,A,C,E]
GM7=[G,H,D,Fis]
要はヘ長調とト長調が併存しているかのような状況で、これを複調とか多調といいます。

そういうテクニックがあるにしても、FとFisは半音違いだし、同時に鳴らしたら濁って音が汚くなるのでは…?という心配があるかもしれません。
実際にどういう鳴り方がするかは演奏をお楽しみに…ということで。
想像以上に違和感がなく綺麗な響きになっていると思います。

終わりに

曖昧な表現とトレモロの相性の良さ

トレモロは必然的に多くのノイズを含む奏法です。
そのノイズが、今回の曲では良いざわざわ感として機能していると思います。
私は今回以外にも水(海や川)をテーマにした曲を作っていますが、もしかするとマンドリン合奏は波音やせせらぎを表現するのにかなり適している楽器なのかもしれません。

印象派の作曲家も水を表現する曲を多く作っていますが、そのときよく用いられたピアノでは波紋や水飛沫などの連想が強いのに対し、マンドリン合奏では波濤や水流のうねりなど、連想されるイメージに違いがあるように思います。
ノイズが、よりざわざわとした音との相性の良さに繋がっているのでしょうね。

マンドリン合奏で印象派的な音楽をやった例はあまり多くないと思うので、個性的な立ち位置の曲にはなれたのではないでしょうか。
メロディがしっかり立った曲とは、また違った弾き方が求められますが、ぜひ多くの方に演奏されればいいな、と思います。

それでは、最後まで解説を読んでくださいましてありがとうございました。

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青山涼
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