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バタフライ・エフェクト 因果によって生じる希望について
この記事では、青山涼作曲のマンドリン合奏曲「バタフライ・エフェクト」についての解説を行います。音楽理論などの技術的な解説ではなく、どういったテーマで曲を作ったのか?ということに関する解説です。
バタフライ・エフェクトとは何か
まずはタイトルについての解説です。
バタフライ・エフェクト(バタフライ効果)とは、1972年12月29日にシェラトンパークホテルで、気象学者であるEdward Norton Lorenzが行った講演のタイトル
Predictability: Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?
に由来するものとされています。
その意味するところは、ブラジルで発生した蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?といったもので、わずかな初期条件の差が結果を大きく変え、予想がつかない複雑な現象に繋がるという理論を寓意的に表現しています。
かといって、この曲は物理学や気象学を音楽で表現しようというものではありません。この曲のタイトルもまた寓意であり、蝶の羽ばたきは、予想がつかない複雑な現象は、何にあたるのか?それを紐解くことがすなわちこの曲のテーマを解説することとなるのです。
作曲のきっかけ
この曲を作り始めた当初、バタフライ・エフェクトなどという言葉はこれっぽっちもタイトルの候補の中にはなく、頭の中に浮かんでいたキーワードは「人と人との関わり」というものでした。
あまりに漠然としていますが、あるきっかけで家系図に興味を持ったことと深く関係しています。
家系図が面白いのは「なぜ自分は生きているのか?」という問いの答えそのものではないか、という点で、"AとBが結婚してCが産まれ、そのCがDと結婚したから私が産まれた"と帰結が非常にはっきりしています。しかしある意味でデジタル化されたその情報には色々と欠落した部分があって、親や祖父母に実際に聞くこと・古い写真から紐解いて想像することでしか得られないアナログなデータがあります。
戸籍というシステムの裏に隠された縁(えにし)と言うべきものに私は強く惹かれました。
そして、今自分が生きている(産まれた)のは他人の縁のおかげである、ということも当然といえば当然ですが実感として抱く様になったのです。
テーマとして昇華させる
ここまで書いたことはあくまでもきっかけで、曲のテーマとは微妙に異なることです。
作曲をする上でテーマをどうするか?ということを最近は特に意識して書いています。オリエントの航跡・Au Revoirではそれがよく表れていて、次に書く曲は何をテーマにすべきか?という点は重要でした。
そして早い段階で決めていたことは、現代的なテーマにするということです。現代的と言っても漠然としていますが、要は現代人が抱えている問題であったり、もしくは少し先の未来に問題になるようなことをテーマとして取り上げるということです。
私が意識したキーワードは「生産性」でした。
生産性という言葉
詳細は省きますが、2018年に「生産性」という言葉がニュースやSNSで取りざたされるということがありました。それが指す意味は、人間が価値ある何かを生み出す能力といったところではないかと思います。
「生産性がない」という言葉を聞いたときに思い出したのは、津久井やまゆり園での殺傷事件を起こした犯人の供述・思想でした。
生きている価値がないから、生きていると周りの人が迷惑するから殺したという発言は、生産性のみでしか人を測れなかった価値観から来ているように思えるのです。
この事件は綺麗事だけでは語れない色々な側面があると思います。当時、そして今でもメディア・SNSで議論されるくらいには、誰しも自分の中の偏見・差別と向き合わざるをえない問題が含まれていると思います。
社会の一員として、私たちは常に生産性によって測られています。どれだけ効率よく作業を終えられるか、どれだけクオリティの高い仕事ができるか。それは例えば収入や社会的評価に深く関わっているでしょう。生産性という言葉にどんな印象を抱こうとも、もうその枠の中に組み込まれてしまっているのです。
私は人間を生産性で測ること自体を否定しているわけではありません。しかし尺度はそれだけでは無いはずだ、と考えていたのです。
目に見える生産性と見えない縁
そこで冒頭に触れた"今自分が生きている(産まれた)のは他人の縁のおかげである"という話に戻ります。
自分の力で生まれた人はこの世にはいないし、親もそのまた親も同じく自力では生まれていません。
そう考えてみると、その後の人生も含め、私たちは圧倒的に他者の意思に影響されて生きているように思えます。それだけ聞くと、なんとも人生が空虚なもののように感じるかもしれませんし、実際そうなのかもしれません。
しかし私が注目したいのは、縁によって生かされている自分自身もまた、他人の人生を左右する縁を構成しているということです。
あなたがいなければ存在・起こっていなかったことがあるはずで、もし生きることに何か意味や価値があるとすれば、その点については何人も否定のしようがない事実ではないか、と思うのです。
これが私の思う、目に見える生産性とは違う別の尺度です。
大変消極的な考え方かもしれないし、ずいぶんハードルの低い尺度かもしれません。しかし、自分は無価値だと信じる人に対しては、それは違うと胸を張って言えると思っています。
バタフライ・エフェクトは万人が持つ希望の由来になる
ここまで説明してきた縁、それは「バタフライ・エフェクト」という言葉に言い換えられないか、という発想がそのまま曲のタイトルになっています。
私たち一人一人はちっぽけな蝶かもしれませんが、その羽ばたきには予想もつかない大きな変化を起こす力があると私は信じています。
良いことが起きるとは限らず、いつその変化が起こるかもわかりませんが、万人が等しく持っている希望の由来として縁は存在しているのではないでしょうか。
自分というものを測る一つの尺度・価値観に、この曲のテーマが繋がっていく気づきやきっかけになれば幸いです。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。以上でバタフライ・エフェクトの作曲経緯・テーマ解説を終わります。
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