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海辺の時計台 永遠の海と限りある時間

 2022年7月に、質問箱(Peing)で「海辺の時計台の解説も読んでみたいです!」という内容の質問がありました。

 海辺の時計台は「オリエントの航跡」や「バタフライ・エフェクト」のような長い曲でもないので、当時は「予定はありません」とお答えしたのですが、
その後、考えが変わりまして、解説を書くことにしました。

 音楽理論など技術的な解説ではなく、テーマや作曲経緯に関する解説です。

※東日本大震災や津波に言及する箇所があります。

 

作曲経緯

 正確には覚えていませんが、作曲したのは私が大学三年〜四年のころ(2018年)で、編成は四重奏でした。青山忠マンドリンアンサンブルで演奏されることを想定して作りました。
 わりと良くできたと思ったので、音大の卒業制作アルバムにも、自分で多重録音をしたものを収録しています。
 音大に入ってからというもの、とにかくシンプルなメロディを作ることに苦心していました。初めて納得のいくメロディがこの曲で作れたので、とても印象深い曲です。

 当時は、私が作曲したマンドリン曲は数曲程度で、特にテーマを深く考えてから作る、ということもしていませんでしたから、飾らない、かなり素朴な動機で作った曲です。
 そのため、タイトルに関しても最初から決まっていたわけではなく、作ってみたものから自分自身が感じた印象をそのままタイトルにしたものです。
 タイトルの第一案は「時計台」でしたが、父に「何か付け足した方がいい」と言われ、改めて曲を聞き返して浮かんできた印象が海でした。
 そして、海を付け足して「海辺の時計台」と決定しました。

タイトルの意味を紐解く

 私が最初に「時計台」とタイトルを付けたのは、この曲にゆったりとした時間の流れを感じたからです。
 そして同時に感じる切なさは、一度進んでしまえば元には戻らない時間の性質ともマッチしていて、そして「時計台」という、いずれ朽ち果てる人工物がさらに無常観のような感覚を助長していると思います。
 タイトルを付けた当時ここまでのことは考えていなかったと思いますが、なぜ「時計台」にしたのか、と突き詰めるとこのような心理があったと思います。

 そして「海辺」を付けることにより、人工物と自然物の対比が起きることになります。
 寄せては返す海は、実際は海すらも永遠の存在ではないのですが、それでも人間の一生に比べればとても長い間、海は海であり続けます。
 単純な風景として想像しやすく、かつ相反する性質を持つメタファーが、タイトルとしてある程度の訴求力を持っているのではないか、と思います。 

どこの海なのか

 作曲経緯の箇所で書いた通り、この曲は具体的なテーマ先行で作ったわけではありません。
 ですから正確にはどこの海でもないし、どの時計台でもないのですが、私の中での"海"に対するイメージは、必ず過去の体験から形成されているはずなので、私にとって印象的な海が、この曲から感じる海らしさに影響を与えていると考えます。

 私は内陸県の埼玉県生まれで、途中から東京に引っ越しましたが、人生で海を見た回数はそう多くありません。その中で、実は何度も訪れて見た海があり、それが宮城県気仙沼の海です。

 2011年に東日本大震災が起きて、私は翌年から、父に連れられて、演奏をしに気仙沼を訪れました。
 そこから毎年訪れるたび、街が目まぐるしく姿を変えて、嵩上げされた土地や、巨大な防波堤ができていくのを見てきました。
 しかし海だけは、いつも変わらず海のままでした。

 東日本大震災が起きたとき、私は中学三年生でした。
 放課後、校舎の中で地震を経験し、帰宅して衝撃だったのは、テレビに映し出される津波の映像でした。
 黒いかたまりのような津波が陸地を進んでいくあの映像は、今でも目に焼き付いています。

 被災の程度は、現地の方に比べれば、私が体験したことなど全く大したことはありませんが、震災が私の価値観に与えた影響はとても大きかったと思います。

どんな価値観がこの曲を書かせたのか

 無常観、偶然性、人間の無力さ、物事の二面性の意識…。
 他にもあると思いますが、これらはどれも、震災以降私の中で芽生えたり、もしくはもともとあったものが強化された感覚だと思います。
 「海辺の時計台」以降、明確なテーマを持って作曲した曲には、これらの価値観が明らかな形で表れています。
 ある意味で、震災による自分の変化や、形成された私自身の価値観を私が自覚する前に、それと気づかず出力した曲、それが「海辺の時計台」ではないかと思います。

終わりに

 今までの解説と違い、作曲からだいぶ時間を空けて書いたものですから、当時の自分を回想して、こうではないか、と分析するような構成になりました。
 そうすると後付けのように感じる部分もあるかとは思いますが、自分としては確からしい内容にできたのではないか、と思います。

 おかげさまで、今のところ私が作った曲の中では最も演奏される回数の多い曲となっています。
 もちろんそれに満足することなく、さらに皆様に愛されるような曲を作っていかなくてはならない、と思う所存ですが、私にとっても「海辺の時計台」は大切な曲ですので、まずはこの幸せをしっかりと受け止めたいと思います。

 それでは、解説を読んでくださいましてありがとうございました。

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