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「ヤバイ」の向こう側にあるもの

俺がやたらに褒める意味での「ヤバい」を多用し、hy4_4yhと組んで「ティッケー大作戦 YAVAY」を出した2013年頃に比べると、「ヤバい」は今や肯定的評価としての使われ方がかなり一般化している。

企業のCMにも肯定的な意味での「ヤバい」が使われたり、「ヤバイ」ことを売りにした食べ物や飲み物、サービスなどが世に溢れている。

何も俺が「ヤバイ」の第一人者であるとか「ティッケー大作戦 YAVAY」が肯定的な意味での「ヤバイ」の元祖と言いたいわけではなくて、それこそ、出川哲郎さんの「ヤバいよ ヤバいよ」(これは否定的な意味が多いか…)とか、宇川直弘さんはそれこそずっと前から日本で肯定的な意味でヤバいを使いまくっている人だし、70年代の日本でジャズミュージシャンの有名な人が肯定的な意味でヤバいを使っていたという記録も残っている。

さらに2015年の時点で「やばい=すばらしい 10代の9割、肯定的に使用」という記事が出ているので、 https://www.asahi.com/articles/ASH9K7DKQH9KUCLV015.html  あり、ヤバイの肯定的な使用が一般的になったと言うことには疑う余地がない。

ちなみに否定語が肯定の意味で使われるようになるというのは世界的にも普通にあって、音楽でよく使われる誉め言葉のFUNKYなんかも「すごく臭い、カビの臭いのする、イヤな臭いのする」が語源だったり、wickedは本来「邪悪な」の意味だが、英語のスラングでの「サイコー」の意味だったりする。
病気、病んでいるを表すシックがやはり肯定的な意味で使われたり…

なので、「ヤバイ」も日本人の意識の変化と年月を経て、日本語のスラングとして本来の「のっぴきならない状況、良くない状況」から「最高!」「すばらしい!」の意味に変わっていったのだろう。

俺がやたらに2009年ごろからなぜかヤバイばかり言っているのも何かそういう時代の空気を感じて言っていたのかも知れないし、誰かの影響を受けているのかもしれないし、それは分からないが、俺はずっとこのヤバイに突き動かされて活動をしてきたと思う。

ヤバい音楽は素晴らしい音楽であり、ヤバい絵は素晴らしい絵である。

創作者たるものヤバい物を目指さなければならないと感じていたからだ。

そして「ヤバイ」のポジティブな意味での本質をずっと追及していくと、「想定外、または意外性のある喜びの感情をともなった驚きの表現」ではないかという事が自分の中で見えてきた。

とにかく驚きが伴っている事は間違いなく、つまり「斜め上から来る嬉しいサプライズ」だ。

それからは自分が思う「やばさ」を音楽なり画像なり文章なりで表現していく事に時間を費やしてきた。

逮捕以降も自分で振り返っても、人々がギョッとするような「ヤバイ」曲を出して来たし、そういう活動をしてきたという自負もある。

時にはそのヤバさが買われて、楽曲制作やリミックスの依頼を受けているのも事実で、求められるモノがヤバいものである以上はどんどんヤバくなっていくしかないのである。

しかし、「斜め上過ぎる」とやっている事を理解をしてもらえなくなるタイミングが来る。

皆さんご存知かどうかは分からないが、2009年に俺がインドネシアから輸入したローカルダンスミュージックは、とてもヤバい音楽である。

このヤバいというのは肯定的な意味でももちろんあるが、闇の部分も沢山ある。
この音楽ジャンル自体がドラッグの「エクスタシー」が無ければ存在しなかったものだし、イリーガルなサンプリングをしまくっているし、片っ端から既存曲を魔改造(リミックス)しているし、マフィアも沢山いるし、そういう意味でのヤバさがが渾然となって、あのサウンドのヤバさが構築されているのだが、サウンドのヤバさに惹かれて、沼に入ってみたものの、それを取り巻く環境までが本当にヤバかったので、俺はファンコットをラジオやネットを通じて拡げる際にはその闇のヤバさをあえて隠蔽し「インドネシアから来た高速すっとこどっこいダンスミュージック」として紹介することにした。
おかげで、FUNKOTは音の印象通り、エキセントリックでアッパーで楽しくそしてどこかエキゾチックな熱狂的な音楽として日本に受け入れられ、そこが「ヤバい」として小さいながらもシーンが出来上がった。

ファンコットのいい意味でのヤバさは、メディアとの相性も良かったし、情報量が多い音楽を好むオタクとの相性も良かったので、アイドルの楽曲のアレンジとしてFUNKOTが採用されたり、音ゲーに使われたり、俺自身もメジャーデビューをして上向きだった。

あの時は俺が紹介するポップで陽気で少し気の狂った「ヤバイ」にみんなが喜んでいたし、ヤバけりゃヤバい程良いという具合だった。

人を驚かせれば驚かせるほど、ヤバイ!の称賛と熱狂はやまない。そんな感じだった。
今考えてもあの熱狂は凄かったな。

しかし、本来の意味での「ヤバい」は、「売れるもの」=資本主義的的には「人に受け入れられる」ような部分とは程遠い部分である。

その時のヤバイは確かに肯定的な意味でのヤバイの波が訪れていたのだが、2015年の俺に起こったヤバい事=大麻取締法での逮捕、で俺が取りまく全てのヤバいは、ネガティブな意味での本来のヤバいの意味に完璧に変換された。

皮肉な事に、2015年、10代の若者の9割が「やばい」を肯定的に使っているというさきほどの記事が出るタイミングで、俺にとって「いい意味でのヤバさ」、は、「悪い意味でのヤバさ」にオセロのようにひっくり返ったのである。残念!

そう「やばさ」は諸刃の剣である。
奇策であり奇抜であり奇怪なものである。

「やばさ」を追求しすぎると本来の「やばい」の意味である理解不能な狂気を伴ったダークな部分が顔をのぞかせてくるのかも知れない。

そういえば、昔「ヒドい」を誉め言葉に使う女性がいた事を思い出した。

その人は、人によって本当に好きか嫌いかが分かれるようなキワキワの線を攻めてる場合、それを「ヒドイ!」と言いながら笑っていたのを覚えている。

たまにネットのおもしろ動画のコメントでも「これはひどい」と書かれていたのも、みた事があるし、一般的ではないものの、一部では「ヒドイ」を肯定的な意味で使う流れはあるのである。

ヒドイ、はヤバいよりもギリギリで、さらに人を選ぶ。

ところで、昨夜、俺が自分のレーベル(奇しくも「やばさレコーディングス」という名前!)で新しい作品をリリースをしたのだが(作ったのは2006年くらいかと思う)、聴いてくれだろうか?
あ、聴いてないことを責めるつもりなど全くないが、聴いてなかったら聴いてみてほしい。
そう、これ、ほとんど売れていないのである。

https://mandokoro.bandcamp.com/album/real-street-ghetto-thug-gangsta-hardcore-house-music

まあ、俺自身が今現在、イケてる要素がない「過去の人」なのは否定しようもないんだけど、これはあまりにも売れなくて笑うしかない。

俺、これ、今聴いてもヤバいと思ったんだけどね。

実はこれ、2006年から2007年に、現OZROSAURUSのGUNHEAD、通称ガンちゃんと一緒に3ヶ月くらいやっていたユニットで、トラックを俺が作ってガンちゃんが、DJをし、俺がその横でMCをする「CRIME BEATS SQUAD」という幻のグループの音源なのであるが、完全に存在すら忘れていて、久々に聞いたらすげーヤバかったからリリースするこにした。

これを久々に聞いた瞬間に、完全に俺の中だけで「超ヤバい!今キテる!」と思ったし、そこは確信もあるんだが、それはあくまで俺の中での話。

で、あまりにも反応がないから「これはヤバい!ヤバい!」って自分で騒いだんだけど、やっぱり3人くらいしか買ってくれてなくて、で、気づいたんだけど、あー、これ、「ヤバい」っていうかむしろ普通の感性を持った人にとっては「ヒドい」んだな、と今気づいたのである。

ヒドイものに価値を見出す人は残念ながら絶対数が少なくて当たり前なので、売れないのも納得ができた。

しかし、これは2006年頃の作品だし、この頃からヤバさ、いや、ヒドさは変わっていないなとも思う。

今分かった。
「ヤバい」の先には「ダークサイド」や「理解不能」や「ヒドイ」が待ち受けているのである。

しかし、今振り返って思うと俺の人生は「否定的な言葉」で褒められる事*が多かったことを思い出す。

ヤバい、バカ、ヒドい、くだらない、ふざけてる

その前に全部「いい意味で」が付くパターンで褒められるのだ。

褒められてる度に「これは果たして本当に褒められているのだろうか?」とずっと感じてはいたが、
いい意味でヤバい
いい意味でバカ
いい意味でヒドい
いい意味でくだらない
いい意味でふざけてる

「ヤバくてバカでヒドくてくだらなくてふざけてる」ただし「いい意味で」。

この但し書きがなければこんな事を言われ続けているというのは、マジで救いようがないし、もしかしたら勝手に褒め言葉と捉えていたのは俺一人だけであって、「いい意味で」は単なる社交辞令であって、本当は呆れているにも関わらず「バカ」だの「ヒドイ」だの「くだらない」だのふざけている」にこそ、その人達の本心があったのではなかったのではないだろうか?

くっそー!気付かなかったぜ!

ちくしょう!

そもそも、「いい意味で」の「いい」の気持ちの量は非常に少ない可能性が高い。
根本的には「バカ」「ヤバイ」「狂ってる」「くだらない」「ふざけている」という側が主体だと言うことは疑いない事実である。

何故なら本当に「いい」と思うなら、「すごい」「すばらしい」「いけている」「ステキ」「カッコイイ」などのもっと直接的な褒め言葉で評価されるはずなのである。

しかし、俺は自分の作風を肯定し、自分の精神を保つために「いい意味で」を過大に信じ、ヤバければヤバいほど、バカであればあるほど、狂っていれば狂っているほど、「いい」と思われると思って生きて来たのかもしれない。

それによってかえって、本来の「ヤバい」「バカ」「狂ってる」「ふざけている」の方に自ら近づいて行き、既に「いい意味で」すらなくなって来てしまったのかも知れないのである。

俺を「いい意味で」と言って褒めてきた皆さんのおかげで立派なキチガイになる事ができたという事だ。

ありがとう!!

昔からキチガイじみた表現と言うものに憧れてきて生きてきたのだが、いよいよ、齢40を超えてキチガイに磨きがかかってきたのかも知れない。

それに加えて、昨夜、石野卓球さんからもらった称号が「低音男ドブス」!

卓球さんは昨夜、俺に言った。

「男ドブス」はかなりの否定的ワードである。
長年に渡ってネガティブワードを肯定的に受け入れて来た俺とは言え、尊敬する石野卓球さんからのこのド直球な称号に戸惑いはあった。

これを肯定的に受け入れ、少しでも男ドブスをレペゼンしていくためにとりあえずTwitterとnoteのアイコンを実際の写真にする所から始めよう!

しかし、俺のような邪悪じゃないキチガイ男ドブスは世の中が平和で余剰の金が少しあるような社会じゃないと生きにくい。

早くヒドイ状態の世の中が平和になって欲しいものだ。

低音男ドブス="Sub-Sonic D-Boost'Man"高野政所

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