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知の探索

お取引先の講演会で早稲田ビジネススクールの入山章栄教授のお話を聞く機会があった。コロナ後の経済何が変わるか?という質問に対し、大きな流れ(VUCA)は変わらず、正解がない時代においては「知の探索」を続けていくことが重要、というお話だった。

Chat GPTがやってきた


たまたまこの日の冒頭の挨拶で社長が述べられた文章がChatGPTに状況を説明して出てきた文章で、まさに会合の冒頭にありがちな挨拶文だったのに驚き、偶然だったそうなのだが、入山教授からも、Chat GPTは、鉄器、ネット以来の革命だというお話があった。
そのちょっと前に、fbで知り合いがChat  GPTの話をしだし、会社の会議でも話題に出ていたので、私にとっては、それまで全く知らなかったのが急にトレンドに飛び込んできたようだった。入山教授は、Chat GPTの登場が日本の大学教育を大きく揺るがしているということもおっしゃっていて、大学の試験問題もChat GPTの方が良い問題を出すし、答えを学生に使わないようにさせるのも大変だし、また言語の壁が簡単にChat GPTで越えられていることを考えると、日本語という壁で守られてきた日本の大学はあっという間に衰退していくのではないか?とおっしゃっていた。

大学生の娘に「Chat GPT使ってる?」と聞いたら、彼女は使っていないそうだが、大学というよりも二次創作の世界などでここ1年ほどで急にChatGPTによる作品が問題になってきているらしい。

4年前にスウェーデンで赴任していた時にちょうどGoogle翻訳がまだまだ使えない、という話がよく出ていて、マテリアルをフランスに渡した時に「文章がGoogle翻訳みたいでおかしい」という指摘を受けたことを思い出した。私の目から見ると、スウェーデン語ー英語なんかは自然な言葉に見えていて、日本語ー英語よりはまだ使えると思っていたので、ああ、それでもイマイチなんだな、と思った。帰国して娘が、ドイツ語の課題を出すときにDeep Lを使うと相当文章が良い、良すぎて自分では書けないような文になるので、そこを調整するくらい、と言っていて、会社でもDeep Lを使っている人たちが出てきたので、翻訳機能の進歩もすごいなと思っていたところだった。

その観点でChatGPTを読むと、中身もさることながら(中身は質問の出し方と話題の範囲による)日本語のあまりの自然さにびっくりした。

このペースで思いもよらないテクノロジーの発展が続いているということは、まさに今の仕事、今の考え方があっという間に塗り替えられていっても当然だろう。

なぜ企業は外部変化についていけないのか?


外部環境が激しく大きく変わっていくにも関わらず、会社の変化のスピードがついていけず、多くの入山教授曰くは「デジタルが入っていった業界がその順番に潰れていった」事例が多い。確かに、家電ー半導体ー小売(Amazonの侵入)ー紙媒体ー自動車ーサービス業ーそして大学。

変化に多くの会社、組織がついていけないのは、「経路依存性(Path dependencies)」があるからなのだそうだ。例えばよく言われる多様な人材の投与を進めようというときに、単独で進めるのは無理で、他の経路、新卒採用のみに頼らないとか、評価制度や働き方を変えるなど、関連する分野を一緒に変えないといけないのが、変化を難しくしているという。確かにその通りで、前に勤めていた日系企業がグローバル企業として大きく舵取りを変えていた会社では、変化に伴ういろいろな歪みがあちこちで出ていて、一社員目線からは、歪みしか見えないことも多く、混乱や不満につながっていた。

また、すべてのイノベーションは、究極はNew combinationなのだが、認知心理学でも言われているように、人間は自分の目の前にあるもの、自分に認知できているものとしか組み合わせをしようとしないので、どうしても知を深化(Exploitation)しがちで、探索(Exploration)を怠りがち。今回の入山教授のポイントの一つが、経営学を知ることで、フレームワークによって物事の理解がしやすくなる、という点だったのだが、このExploitationとExplorationの話もJ. Marchという人がCompetency trapとして指摘した考え方なのだそうだ。

知の探索は失敗することでしか生まれないので、失敗を恐れず探索を続ける企業こそがイノベーションを起こして、生き残れる、というお話だった。また探索を続ける中では、正確で理論的だ、ということよりも、わからないことに挑戦するのだから、腹落ちや納得性(plausibility)が大切とのこと。確かに、企業のストーリーテリングが今まで以上に必要とされるのは、わからないことの多い中をどう渡り歩いていくかが求められているからだろう。

人に残される仕事とは?


ChatGPTの時代、肉体労働や頭脳労働はどんどん取って代わられていくので、残るは感情労働ではないか、という提案もあったのだが、それに関しては、実は感情労働でさえ、AIがとって変われるようになりつつあるのでは?と個人的に思う。AIと恋愛に落ちる(ある意味デジタルを介してのみコミュニケーションをとっている関係が増えてきている中ではあり得る設定)映画もあったし、ロボットペットの登場をみていると感情も置き換え可能な時代になっているのではないかと思ってしまう。

ChatGPTの強みが、いかにもありがちな、正解に近いものを出す能力なのであれば、やはり人間にしかできないことは、思い切った発想の転換で、まさに芸術家たちの時代がやってきたのかもしれない。それもピカソ風やモネ風ならAIの方が上手なので、新たな自分風を作れる芸術家の時代。

などなど、仕事でも仕事に関係なくも色色なことを考えさせらた濃い講演だった。

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