憧れのキャリアウーマンは祇園街の長女だった叔母
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大好きな叔母が3年前他界。90歳だった。亡くなる一ヶ月前まで現役の祇園のバーのママとしてカウンターに1年365日、立っていた。
叔母のことを取り上げてくださった本が2000年に出ている。叔母が68歳の頃のインタビューを聞き書きした内容。
「祇園」うちあけ話 お茶屋のこと、お客様のこと、しきたりのこと (PHP文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00799RT1S/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_GQ70FDMPYHER23S9HRQR
祇園の長女は一家を養う
叔母は3人兄弟の長女。10歳違う弟=私の父と14違う妹とは父親は違う。
本の中にも「祇園では長女が一家の面倒を見るのが常識」と書かれているのだが、13歳で働きだしてから、本当に叔母は家長としての気概を持って家族を支え、祖母、母を看取り、弟の結婚をサポートし、その子ども(私)の教育費を貸し、妹とその息子をサポートし、妹を看取り責務を果たしてきた。
本の中に落籍された話やお見合いをした話がのっていてびっくりしたのだが、どれも祇園に戻って結局働き続けたのは自分が家族を養わなければならない、という気持ちがあったからだと思う。
83歳の時に、お店を出してちょうど50年、働きだしてちょうど70年で「もう引退するわ」と言い出した。引退記念品をお客さん達に送ったら、それまでお客さんたちも年を取って亡くなったり、来られる頻度が減ったりしていたのが、やめないでくれ、とまた客足が戻り、結局お店を続けることに。
亡くなる間際に「あの時やめんでほんまに良かったわ。やめてたら、ボケてたなあ。」と言っていたが、私達家族・親戚も、(優しい父だけは叔母の言うとおりにしよう、それで父のところに引き取ると言っていたのだが)その時にやめたら絶対にボケるからやめないほうが良い!と言ってやめない決断を後押し。それ以来意識的にみんなでお客さんを連れて行ったり、お店を紹介したりするようになった。
もともとは会員制のバーだったのだけれど、いつからか、「米はドアをくぐったら会員」と叔母が言い出して、私も色んな人を連れて行った。
一度は前に勤めていた会社のリーダーシップチーム(経営陣)10人ほど。しかもその中にはスイス人、トルコ人、スウェーデン人、イギリス人交じるで、お店にきゅうきゅうに入ったこともあるけれど、叔母は誰を連れて行っても本当に平然としていて、どんな会話にもついてこれるというさすがのプロだった。
しかもその記憶力がものすごい。一度聞いた話は忘れないし、(ちなみにお勘定もすべて覚えていて後でつけていた)飲んでも飲んでも酔わない。。お酒が好きなところと仕事が好きなところは似ているのに、この記憶力の良さと酔っ払わないところは全く似なかった。。
俳人とのご縁と大好きだったビールと
本の中にも波多野爽波さんという俳人に仲良くしていただいた話がのっていたが、そのつながりからか黛まどかさんがよくお店に来てくださる、あるいは吟行で定期的に来てくださる俳人仲間がいるという話を聞いていた。まどかさんは叔母のことを記事にしてくださった。
私の友人も俳句を詠む人、毎年顔見世の帰りに寄ってくださる人などなどお店の常連になってくれた人たちがいて、叔母も嬉しそうに話をしてくれていた。
私と子どもたちが行くときの楽しみは、近所の洋食屋さんのお弁当を取ってもらったり、近所の美味しいステーキ屋さんに連れて行ってもらったり。基本叔母のお店の選定は、来ていただく、何かをしていただいたら必ずお礼に伺う、ということがあり、私達もおかげであちこち連れて行ってもらえた。そのせいで、子どもたちには祇園で食べるものは何でも美味しい、という強い思い込みがある。
お昼でもどこかに食べに行けば、
「まりちゃん、ちょっと飲もか」
と必ずビール。本当にアサヒビールが好きだった。
本の中にもある通り。
夕方になったら、肴をちょっとこしらえて、午後六時に、かど(門灯)つけるんどす。まず、ビールから飲みはじめます。一人で、たいてい一本飲んで、足らんときは日本酒をチンして飲んで。そしたら気が大きくなって、いろいろあったことやら忘れます。そうなったら、こっちのもんや。べつに、お客さんがあったかて、なかったかて、まあ結構やなと思います。
365日仕事、80年近く亡くなる1ヶ月前まで仕事
びっくりしたのが、叔母が年中無休でお店を開いていると聞いたときのこと。これも本の中に出てくるが、出かけるときにはドアのところに「XXに行ってます」と書いて用事に行っており、それこそ大晦日も元旦もお店をやっていた。
本当に仕事=お酒を頂いて、人に会うこと。人のお話を聞くこと。稼いだお金で家族に喜んでもらうことが好きだった人だと思う。記憶力の良さや、人の悪口を消して言わない。グチグチしないところなんかは、子どもの頃からの鍛錬のおかげだったんじゃないかと思う。
うちの母は専業主婦で私が働き続けることをものすごく応援してくれて、サポートしてくれたが、同時に私が働き続けているのも、キャリアウーマン、一家の大黒柱として楽しんで人生を全うした大先輩である叔母の背中を追っているんじゃないか、と思うこともある。
実はキャリアウーマン、プロフェッショナルのはしりは祇園じゃないのか?
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