oasis NKEBWORTH 1996 オアシスとその時代
オアシスのドキュメンタリー映画、『オアシス:ネブワース1996』がイギリスでドキュメンタリー作品としては2021年の最高の興行収入を記録しているという記事を読んで、急遽観に行ってきました。日本でもすでに公開されていて、ちょうど公開延長されたところでした。ラッキー!
『オアシス:ネブワース1996』とは?
この映画は、1996年8月にハートフォードシャーのネブワース・パークで行われたライヴのドキュメンタリー。25万人の観客を集めた2日間の公演で、なんとイギリスの全人口の2%以上がチケットを申し込み、史上最大のチケット需要となっていたそうです。調べてみると、1995年のイギリスの人口が5800万人。映画の中で、25万人分のチケットに対し、250万人が申し込んだ、というところがあったので、たしかに2%...当時のオアシスのすさまじい人気ぶりがわかります。
全編通して演奏シーンもたっぷり使われていますが、ファンがライヴの前に公園に集まってくつろいでインタビューを受けているシーン。ラジオで録音した人、日曜日の朝たまたまチケットを手に入れた人など、ファンの色々なエピソードがミニドラマ化されて挿入されており、演奏シーンの映像も単純に移しているだけでなく、粗くなったり、重なったりおしゃれな作り。それもそのはず、監督のジェイク・スコットはミュージックビデオをたくさん手掛けた人でグラミー賞も取っているのだそうです。
私のオアシス体験
実は私はリアルタイムでのオアシス体験がありません。彼らのデビューが1991年。1994年から躍進が始まり、まさにこの1996年のネブワースが一つのハイライトなのですが、私はちょうど1992年に社会人となり、この時期は会社と家の往復に明け暮れていたと思う。どちらかというと中高時代の80'sが私の中の洋楽のハイライトだったりするのですが(ウドー音楽事務所に入りたくて外大を受験する)それでも洋楽、ロック大好きなので、今やオアシスの音楽も大好き。
オアシスとの出会いは、2016年のドキュメンタリー映画、”Supersonic” ちょうどスウェーデンにいた時に、映画の公開に合わせて彼らの故郷、マンチェスターであった"The Manchester Exhibition - Chasing the Sun"に行ったのがきっかけ。そもそも当時『ジョジョの奇妙な冒険』の影響でロックを聴き出した娘が先にファンになって、このイベントに行きたい!となり、私は当時はそれほど興味がなかったのが、どちらかというと、マンチェスターだったらスウェーデンから週末旅行で行けるのね、というのがわかって、じゃあ、マンチェスター行ってみるか、となったのでした。
マンチェスターでは昼間Exhibitionに行き(老若男女で賑わってました。今でも地元のヒーローなんだと思う)、夜は地元のシアターで映画を鑑賞。このExhibitionで有名なギャラガー兄弟の破天荒ぶりを知り(とにかく素行が悪く、しかも本当に仲が悪い)何なんだ、この人達は??という感じで興味を持つ。後、洋楽、ロック好きな私の中でこんなに人気のあったバンドの記憶が一切なかったのが逆に興味を引いたというのもあったと思います。
ネブワースの時代 ミュージックを楽しむ
映画は、
90年代は、インターネットが普及する前の最後の時代であった。
というリアムの回想通り、今とは違う音楽の楽しみ方の世界を見せてくれます。まずチケット争奪戦。これがすごい。当たり前なのですが、当時はネット予約がなかったので、列に並ぶか、電話をひたすらかけるか。オペレーターにつないでもらうという裏技でチケットをゲットした人とか、つながったときにはすでにチケットが売り切れていた人とか(あるある。。)人口2%が求めた争奪戦の凄まじさがわかります。今は本当に便利だけれど、逆に不便だったからこそのよし、手に入れた!!感の大きさは比べ物にならなかったでしょう。
ネブワースへのアクセスも最悪(地図で確認するとロンドンの北、ルートンの東くらいで、まさになにもない小さな町)。Wikiによれば、2011年のデータで人口5200人。ここに行くためにチャーターバスがたくさん出て、しかも、バスすれ違えないような狭い道を行く。車も大渋滞で行く。列車も行くが駅から会場の道がこれまた狭くて大渋滞。財布とタバコとチケットだけ持って並んでずぶ濡れになった、とか、前の方で見たくて並んでいざブロックに入ったら、もうトイレにも食事にも行けず、1日中トイレを我慢した、とかすごいエピソード満載。
それでも多くの人は、昼間のリハーサルのときには芝生でビール飲んで寝そべって楽しんでいたり、とにかくこの時代まだタバコもお酒もありありなので(リアムはステージの上でタバコ吸ってビール飲んでた)ゆるく楽しい映像がたくさん出てきます。そしてインスタ映えも自撮りもtwitterもなく、カメラの前に喜んで出てくる多くの若者達。
ネブワースの時代そのもの
この映画がこのコンサートを「世紀の大イベント」と呼ぶのは、当時では圧倒的な規模感もそうだし、オアシスの勢いもそうだし、それをベースにファンが一体感を持って会場で特別な時間を本当に楽しんだ、というのもそう。Supersonicがオアシス側からのバンドの歴史や物語にフォーカスを当てていたのに対し、ネブワースの方は、ファン目線でイベントを描いていて、このコンサートがいかに特別なイベントだったか、というのがいろんな証言から浮き彫りになっていきます。
今、この映画がここまで見られるのも、まさにネブワースを実体験した人、ラジオやメディアで2次体験した人、体験していないけれど、オアシスのファンの人(私みたいな)、時代に興味を持った人、様々な人がいるから。そして、その理由の中の一つに、エピソードでも語られている、最も幸せな時代、何もかもが可能だと思えた時代、若さだけではなくて、時代自身が持っていた肯定感があるんじゃないかと思います。
社会人4年目の私が必死に働いていた頃、日本こそバブル崩壊後ではありましたが、世界的には経済成長の入り口。世界的には明るさがあったと思います。
そして、このコンサートで印象的なのは、もちろんコンサートあるあるではありますが、とにかくみんながずっと一緒に歌っているということ。oasisは聴く音楽、というより、一緒に歌う音楽。今回改めてちゃんと歌詞を見たのですが、シンプルな英語で前向きなものも多い。ノエル自身が何かのインタビューで、それまでの悲観的でシニカルな歌詞ではなく、自分たちの歌詞は前向きだ、というようなことを言っていて、彼らが労働者階級出身で、自由に振舞い、時代を歌っていたからこその驚異的な人気だったのだと改めて思いました。
Brexitの分断の後であり、コロナのロックダウンの後であり。イギリスで今この映画が流行るのは、時代の閉塞感に対する不満も一因ではないかと思いました。