汝、卒乳とする。
いつか必ずその日は来る。とは思っていたが、その日はあまりにも前触れなく急にやってきた。モチの突然の卒乳から1ヶ月が経った。断乳の儀式は保育園の入園前の1ヶ月をかけてじっくり〜、とたまごクラブを参考に考えてたのに、その半年前に呆気なく本人の意思で、卒乳されにけり。。育児は育児書通り進まないし、育児には諸説ありすぎるし、モチはモチなのだ、と日々思い知らされてます。
はじめは母乳ストライキからでした。元々、夫とツーオペ育児を考えていたので、授乳はミルクとの混合で進めていた。7ヶ月のある日、母乳の直接授乳のみをキッパリ受け入れなくなったのだ。つまり、ミルクや搾乳は飲む状態で、「哺乳瓶が良いよ!」という意志のようだ。WEBで調べると「2〜3日で何ごともなかったかのようにストライキを止める」と書かれているが、モチはストを続けた。
まずは大パニックだった。モチが飲んでくれない、即ちそれは乳腺炎へと繋がると知っているからだ。授乳の間隔が開くと乳腺が詰まるなんて、神様はよく考えたものだ。当初、母乳育児ヘの思い入れなんて全然なかった私だが、乳腺が詰まる苦しみを知り、せっせと母乳を与えるようになった。そのお陰で、1時は「完母状態」の時さえもあった。乳腺が詰まると、私の場合は搾乳もマッサージも気休め程度の効果しかなく、それを解決できるのはモチのみという事になる。夜中痛くて眠れなくなり、縋るように体験ブログなどを読み漁り、モチを起こして授乳させていると、突然何ごともなかったようにシコリが取れる。という奇跡のような経験を繰り返していた。その瞬間は、モチがお医者さんにしか見えなくなる。モチ先生ありがとう!
しかしそのモチが、授乳そのものをストライキしてしまったら、もはやすべ無し。絶望で追い詰めらた。大人をここまで追い詰めることができる、本当に立派なストライキです。
結局どうしたかというと。1週間続いたらもう卒乳してしまおう、と期間を決めたら心が軽くなり、必死になったら自分の搾乳のスキルが上がり、乳腺の詰まりを自分で解決できるようになり、、、モチは1週間経っても完全ストの姿勢を崩さなかったため、これにて卒乳としました。おめでとうございます?
ということで、呆気なく卒乳です。ビールも飲めます。なんだか、ぽかんです。
それにしても、授乳がこんなに大変とは、出産前は誰も教えてくれなかったことだった。出産直後から始まる、助産師さんによるスパルタ母乳合宿を経験して、血の気が引いた(いきなりほぼ3徹)。「3時間おきに授乳が必要」という状態は、体験するまでは「10分程度の負担で、2時間50分は休めるのかしら」と思っていた。しかし実際は、右胸10分左胸10分調乳時間10分ミルク5分、と30分超えの仕事だった。(そしてその後の2時間半、彼は静かに待っている訳ではなかった!)それを昼夜問わず1日8回、合計4時間以上も授乳に奪われるのだ。赤ちゃんが寝てても「起こしてでも3時間おきに授乳せよ」とか、鬼のようなことを平気で言われる世界なのだ。産褥期は無理しないように、ってどの本にも書いてあるのに、無理しないとこなせないのだ。これをママ達は皆、乗り切ってきたのかー!?なんで涼しい顔してるんだー!なんで恩に着せないんだー!すごいなー!!!!と、ひたすら畏敬の念です。うまい具合に、授乳中は幸福ホルモンなるものが身体に放出されるらしく、その力を借りて私もなんとか7ヶ月頑張りました。突然の卒乳は、ちょっと寂しくもあります。でも主従関係が無くなり(私が従)、モチと人として対等になった感もあります。私がいなくても、もう立派に生きていけるんだなと、ちょっとしみじみします。
こうして晴れてビールが堂々と飲める身分になったのだが、そうなると意外と飲まないものだ。妊娠する前は、ビールは毎日飲むもの、だったのに。妊娠した時の第一声は「もうビールが飲めない!」だったのに。
それにしても、赤ちゃんって喋らないからちょっと神秘的。「もう大きくなったし、明日から母乳やめるから!」って、喋ってくれれば分かりやすいのですが、いつも方針を突然変えられて、親は戸惑ってしまいます。この神秘的時代も、あと1年くらいなのかあー・・・