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地元に伝わる鬼の昔話

岡山の鬼といったら温羅〔うら〕が有名ですが、私が祀ってるのはもっとアンダーグラウンドで暗躍してた阿久良王〔あくらおう〕という鬼です。たぶん私のご先祖さま(思い込み)。地元の人もほぼ知らないこの鬼は平安時代(西暦800年ぐらい)に私が住んでる児島という場所がまだ島だった頃に瑜伽山を拠点とし児島全土を統治していた妖鬼の大将と言われてて霧や霞のように姿を消すなど変幻自在の妖術を使えたとされる伝説の鬼。家来には東郷、加茂、稗田という鬼の三兄弟を従えてたそうです。ちなみにこの三兄弟は備前宇喜多氏の系譜にもちょこちょこ出てきたりしてて結構謎が多い三兄弟と言われてる。またこれらが後に御三家と呼ばれ三宅という苗字の由来にもなってるんだって。一般的に鬼って大和朝廷に従わなかった古代出雲系の製鉄技術を持った集団や豪族ってのが通説なんだけどこの阿久良王も拠点としてた瑜伽山から銅剣などが出土してる事からその解釈であってると思う。で昔話によると鬼を退治する為に朝廷が送り込んできた刺客はなんと坂上田村麻呂〔さかのうえのたむらまろ〕。この人は征夷大将軍だったり清水寺とか作ったりしててけっこう位の高い有名人なのでちょっと話を盛ってるんじゃないか説あり。ストーリーとしては田村麻呂が阿久良王の妻である女鬼に酒を飲ませ退治した事が発端で、激しい戦が七日七夜続き最後は阿久良王が田村麻呂に敗れる。息を引き取った阿久良王は田村麻呂に首を斬られると金色の光を放って飛び散り75匹の白狐となり瑜伽大権現の使いになったんだと。めでたしめでたし(?)。たぶんこれは阿久良王側の集団が80人程いたとされてるので阿久良王がいなくなった後、残った人々は大和朝廷におとなしく従ったって事だと思う。超余談ですがこの話の流れはどことなくインド叙事詩に出てくるアスラ(阿修羅)v.s.インドラ(帝釈天)の戦いにちょっとだけ似てる気がした。話を戻して、戦いに勝利した田村麻呂は帰り道に自分の着ていた金の甲を山の上の竜王さまに奉納したとされてて、そこが後に金甲山と呼ばれるようになったらしいよ。備陽国史の一節では阿久良王は淡路島へ流刑の途中、憤死したとされる早良親王が実は生きてて児島へ流れ着き阿久良王と名乗ったっていう伝承も残ってるんだけどこれは流石に盛り盛りに盛った話だと思う。あと、阿久良王とは別で瑜伽山には鬼の面の伝説もありそのお面を被った子供は、たちまち3~4m程の鬼になって人を喰うって話もある。私、人は喰わないですがマスク被ってライブしてるのでなんか勝手に親近感が湧いちゃいますよね^^。おしまい。

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