音を作る人(2)
夏休みももうおわりに近づいて、僕はなんだか憂鬱な気分になっていた。とりあえずばあちゃんでも見に行ってくるかと、自転車をまたぐ。今日はひどく国道が混んでいて、あちこちで低いクラクションが鳴る。群れをなした動物が交わって、互いをけん制しあっているようで笑えた。僕は歩道に入って、自転車をまたぐんぐん進める。ばあちゃんが塀の前に立っていた。僕に見向きもしないで中に入ろうとしているけど、僕には呼び止めるなんて大層なことはできなくて、とにかく走る。ばあちゃんはそのまま庭にどっしりと構える蔵に入って行った。自転車を止めて、僕もついて行く。しんと静まり返ったその蔵の中は、夏なのにひんやりとしていて僕の汗を急速に乾かした。ばあちゃんは僕より五歩ほど先にいて、棚にある無数のビンのラベルをなにやら確認しているようだった。僕は入り口に突っ立ったまましばらくばあちゃんの手とそれを無心で見ていた。ばあちゃんはビンのもっと下にあるダンボールからラジカセのテープを一つ取り出して僕にくれた。その黄ばんだテープには1998年6月と書いてあった。僕の生まれた頃だ。僕はそれを大事に右ポケットにしまって、ばあちゃんに小さく礼を言う。ばあちゃんがダンボール箱をもとに戻して、蔵の門を開けると、蝉の声が次第に大きくなった。さっきまでの静けさが嘘のように思えるほどの大合唱である。そのあと僕は日が暮れるまでボケーっとしようと思って、いつものように西の間に行った。お日様に焼けた畳はいい匂いがした。原っぱでコロコロするようなそんな開放感がある。僕はそんなふうに考えて、西の間の端から端までを怠惰の権化でもあるかのようにのっそりと転がった。端まで行った僕の目に、ばあちゃんのラジオがほこりをかぶって待っていた。手にとって、上から下からみていくと、どうやらカセットテープも入るらしかった。僕は縁側に行ってその埃を払って、試しにカセットテープを入れてみる。使い方はよくわからなかったが、とにかく再生ボタンを押してみた。しばらくそれは静寂を記録していたが、不意に聞き覚えのある足音がきこえた。あのシュルシュルと廊下をするばあちゃんの足の音。それは少しずつ大きくなって、それとともに水が入った容器を運んでいるのだろうか。そんなぽちゃんぽちゃんと言った音もする。それが繰り返し繰り返される。聞き入っていたら、前面のレコードはいつの間にか終わっていて、それでも音が僕のあたまの中で一人でに再生されていた。もう少し余韻に浸って痛いと思うような、耳からジンワリと暖かい温度が伝わる。僕は裏庭で野菜を収穫するばあちゃんのもとにかけて行って、このラジカセを持って帰ってもいいか聞いた。ばあちゃんはすんなりと、それを僕に譲ってくれた。日はまだまだ真上から僕らを照らしていて、僕とばあちゃんはあっちいあっちいと言いながら家の中に引き上げた。それから、ばあちゃんが冷蔵庫で冷やしておいたスイカをご馳走してくれた。僕らは無心でかぶりついてはそのタネを吹き出した。スイカは志村けん流で食べるのが僕のモットーであるのを知ってかしらずか、ばあちゃんはスイカを大きく切ってくれる。そして、顔をスイカで染めながら食べる僕をみて笑いながらタネを飛ばしていた。僕の持ってきた憂鬱さもばあちゃんがそれと一緒に飛ばしてくれた。