'FUCK YOU'から思い馳せてみた
ちょっと思い出したことがあったから、ここにメモしておこう。
これは私がヨーロッパにしばらくいて悪い言葉やスラングを少しずつ覚えてきたときに気づいたのですが、英語ではよくFUCK YOU! と相手を罵りますよね。日本語では、くたばれ!死ね!などと訳されます。私はここに大きな違いがあると思いました。FUCK というのは実は動詞(自動詞・他動詞?)として機能していて、(I) FUCK YOUと捉えられます。つまりそこにはきちんとした主語があり主体性があります。私があなたをくたばらしてやる、殺すといったそういう意味になります。この言葉には責任がある。しかし、日本語はどうだろうと振り返ってみた。主語をつけるとすれば、あなたが(勝手に)くたばれ、あなたが(勝手に)死ねというふうになる。言っている方に責任はまるでないのです。しかしあなたにある。あなたがこの発言を受けて怯むことをただお祈りしてまっているんです。弱虫で臆病な人ほどこう言った言葉をよく使います。言葉は文化ともいわれますから、このようなことは生活の色々な箇所で見られます。日本において、言葉に主体性を持たないというのは民族としての集団生活を送る上で必要だったのかもしれませんし、悪いことばかりではないとは思っています。また英語圏の常に主語を持つという文法にも不都合な点はあるでしょう。ここから何か結論づけるというよりかは、ただ面白いなぁと思ったので無責任にここに書かせてもらったというわけです。