すーぱー働きたくなかった私の就活の思い出②高校以前の「ガクチカ」を聞いてくれた今の会社
こんばんわAJOです。
前回は、すーぱー働きたくなかった経緯と、いまの会社にエントリーするに至った経緯をご紹介しました。
今回は最終面接に至るまでどんな面接を受け、この企業にひかれていったのかを書きたいと思います。
聞かれたことだけをただひたすら答える私
あまりにも面接で落ちすぎて戦意喪失気味。
さらにテストセンターを使いまわすことが目的のエントリーだった為
特に「合格したい!!」という熱い気持ちは私にはありませんでした。
変に熱くなったり、話を膨らませようということは一切しませんでした。
それが功を奏したのか冷静に面接官の質問の意図を考え、淡々と余計なことを言わずに聞かれたことだけに答えることができました。
※自分が何を話したいのかじゃなくて、相手が何を聞きたいのかが大事!そりゃどうだ!!
1次のグループ面接、2次&3次の人事面接では私の苦手な「志望動機」について聞かれることは一切ありませんでした。
大学より前の「ガクチカ」の深堀、それに救われた私
面接で、ただひたすら聞かれるのは今でいう「ガクチカ」、「学生時代頑張ったこと」。
ただ、この会社が私がいままで受けたどの企業とも違ったのは、”小学生時代から遡って”、何を頑張ってきたのかを聞いてくれたことでした。
「小学生時代は何を頑張っていたの?」
「なんでそれを頑張ろうと思ったの?」
「その時のエピソードで心に残っている話を聞かせて」
「そんな大変なことが起こったときにあなたはどう動いたの?」
これを小学生だけでなく、中学、高校、大学と丁寧に深く聞いてくれたのです。
実をいうと私の大学生時代の頑張ったことは、過去の自分と比較すると胸を張れるものではなく、むしろ頑張った結果、空回りして自信を失った経験だったので、就活のエピソードとして使えませんでした。
でも、それより前の「ガクチカ」は違いました。
小学生のころ、私は競技ドッジボールチームに入り、
女子で唯一のレギュラーを張り、司令塔と声出し隊長を務めました。
割と有名な強豪チームで東京都大会で準優勝。
チームの朝練・夕練の他に、授業の合間の5分休みには試合のビデオを見て仲間と研究。中休みや昼休みにもすべて練習に費やしました。
中学生に入ると、どうしても硬式テニスがやりたかった私は、
2年生のときに硬式テニスを教えられる先生が赴任してきたことをきっかけに、指導を懇願、一から部員を集めました。その数は30人以上。
既存軟式テニス部との軋轢を乗り越え、硬式テニス部を設立しました。
今でも硬式テニス部は存続しております。
※このnote書く為に久しぶりにネットで調べたらテニス部強いって書いてあって泣きそうです、、都大会常連校になっているようです、、すごい、、涙
高校生は、硬式テニス部がある近くの都立高校に入学。
毎朝校門が空く前に校門をよじ登って1人でサービス練習。昼休みは早弁してフルで練習。放課後練習が終わって家に帰ったあとは毎晩壁打ちをしてました。
強豪といわれる男子テニス部と比較して、女子は弱小でどんどん練習コートを奪われる弱い立場。
枠が決まっている試合のエントリーも年次順のぬるい体制。代替わりのタイミングで、これまたたくさんの軋轢を乗り越え実力主義への転換を行いました。
強い学校の練習に頭を下げて参加させてもらって、たくさん恥をかきました。それでも自分がこのテニス部を少しでも本当の意味で強くしたいと思ったので、やりきることができました。
※ちなみに私のペアはめちゃテニスうまかったですが、私は本当にへたくそ
どの話もようは部活頑張ってただけじゃん、な話ですが、私の中で自信をもって伝えられる頑張ったことでした。
それをちゃんと聞いてもらえた安心感からか、
質問を通して、自分のやってきたことに対しての自信を持てたからか、
志望もしてないし、落ちまくっている諦めからか、
「大学時代のガクチカ」について正直に、今までのようにうまく結果にならなかったことを初めて伝えられた面接でした。
面接はとんとん拍子に進み、最後面接へ。
面接の回数を重ねれば重ねるほど、私はこの会社がとても魅力的に映ってきました。