【第295話】11/20・阪神11R・アンドロメダS(にゃむ師匠)
衝撃の記者会見から2週間。すっかり日本中を虜にしている我がF軍の「ビックボス」。彼が現役だった頃、彼と好対照のコントラストを描く男がいました。一流と二流の概念に大きな「ねじれ」をも招くこれぞ摩訶不思議。さて、その本質とは? ぜひご覧ください!
1981年からF軍ファン。記念すべきファン歴40周年の小生としては、今年は良くも悪くも激動の2021年であり、その〆めとして登場したのが、日本シリーズがまだ行われていないのに「プレ・ストーブリーグ」としていま日本中を熱くしている「ビッグボス」。
報道に出ている経緯や、みんながごくごく当たり前に思う印象はわざわざ書くことではないので割愛し、世の中を斜めから見る「斜会学(しゃかいがく)」的視点から、これについて綴りたい。
本拠地を東京から札幌に移した2004年。
「北海道を熱くする!」「時代はパ・リーグ」の旗の下、新庄剛志がアメリカから帰ってきた。最初は空席が目立った札幌ドームのスタンドも、しだいに熱を帯び、3年経って優勝争いをするようになるともう満員に。完全に地域に根付いた「道民みんなのチーム」に。
そしてその勢いそのままにチームも日本一となった「シンジラレナ~イ」夢心地を、小生も生粋のファンとして共有させてもらった、生涯最高のシーズンと今もなお言える2006年。
その立役者が「ビッグボス」となって再び北の大地に帰ってくるもんだから、もうのっけからその「新庄劇場」ぶりになんだか懐かしく、プレイボール前からワクワクが止まらない。否、ビッグボス的にはもう既にプレイボールしているのだろう。
その一方で、チームを離れる首脳陣もいる。
2年前に監督手形つきでヘッドに就任した「ガッツ」こと小笠原道大。
新庄・背番号1 小笠原・背番号2
札幌移転から3年目。2006年に日本一を奪回したときの主力メンバーであり、二人の活躍なしではこの日本一はあり得ない。
二人がともに戦った、2004~2006年の3年間の成績はごらんの通り。
1.新庄
2.小笠原
数字だけ見ると、新庄よりも小笠原の方が圧倒的に良いのは言わずもがな。もちろん、捕殺数等、守備に関する指標も加味すれば新庄の数字的評価も少しは上積みとなるのだが、それでも小笠原の方が圧倒的であり、年俸も上。
小笠原もこの頃から完成期に入った感があり、主砲として貢献。この男のバットがなければ「シンジラレナ~イ」劇にはなっていない主力であり、いかつい髭面から繰り出す誰よりも豪快なフルスイングは質実剛健のキワモノ武骨人のように見えるが、実はシャイで温厚な「とってもいい人」。このギャップがたまらなく、新庄同様に小生は大好きであり、個性という部分については申し分ないレベルで「際立っている」と言える。
しかしこの二人、圧倒的に違うのが「華」。
ファンの心をつかんで離さない「スター」新庄に対し、寡黙にバットを振り続ける「武士」小笠原。同年代のこの二人だが、あまりに対極的。これまさに「陰と陽」か。
お互いがお互いをどう思っているか聞いたこともなければ、二人が話をしている場面は、当然ダクアウトやベンチではあるだろうが、カメラの前ではなかなか見たことがない。
新庄はよく、ひちょりや稲葉と「ファイターズ外野会議」
を催していたが、小笠原はファーストと「ねじれの位置」にあり、そんな会議にも参加せず、二人の仲については今もなおブラックボックス。
あれから15年の時が流れたが、2021年シーズン終了間近で栗山監督が早々と辞意を示し、ヘッド小笠原も次期監督が発表される前に退団を表明。
もうこの頃には球団内には次期監督に稲葉でもなく自分でもなく、新庄にオファーしている事は周知の事実だったのだろう。アイツが来るならもう俺の立ち位置はない。
監督手形を差し出されて三顧の礼で古巣に迎え入れられたはずなのに、こうしてひっそりと球団を去る小笠原。いま何を思うのだろう? ただでさえ寡黙な人柄であり、悪口や人を傷つけたりする発言も一切しない「武士」は、選手時代もヘッドでも一緒。去り際も「ヘッドとして結果を残すことはできなかったこと」を理由にしてその場を去り、これまた「古巣」のG軍に復帰。
話はもう一度戻るが、数字だけ見ると新庄は「二流」であり、小笠原は「一流」。これは誰が見ても明らか。
しかし、プロ野球という商売は「挙行」ありきのエンターテインメント。真剣勝負をしながらファンを惹き付け、球場に足を運んでもらい、グッズが売れて初めて経営が成り立つものであり、どんなにバカスカ打っても、ファンが球場に入らないと成り立たない。そういう意味では、「寡黙な一流選手」よりも「スターな二流選手」のほうが球団経営的には全然価値のあるコンテンツ。
これがサラリーマンとかセールスマンの世界であれば、なかなかこういったねじれは起きず、売れる、人を惹きつける、結果を出すのが一流のプレイヤーであり、それができないのは二流と、その線引きは非常に解りやすいのだが、プロ野球という世界は、得てしてこういう「ねじれ」が起きる特殊な世界。
古くは中畑清、達川光男、ドカベン香川、パンチ佐藤、ピッカリ佐野。
数字は二流でもみんな大好き、ファンを惹きつける能力は「一流」のものがあり、それを受け入れる土壌もちゃんとあった。
F軍球団も、一連の中田翔問題で逆風吹き荒れる球団に対する炎上・ビハインドをいち早く鎮静化させたい思惑もあって、すべてインパクトでかき消してくれる今回の登用劇となったワケだ。使い勝手の良いビックボス。踊らされているのにそれを微塵も感じさせずに自分から踊るビックボス。
そんなビッグボスも、昔から自分の立ち位置を十分「解っている」男。
自分自身を主観視も客観視もでき、何をすればみんな喜び、何をすれば事が快適に進むかキチンと読める男。選手当時から小笠原のような強打者になれない「自らの限界」もちゃんと客観視していて、では今の自分ができる事は何か。小笠原にできなくて自分ができることは何か?を考え、率先して実践。
選手として活躍した2004年からの3年間も、そしてこれからの2022年以降も、「面白いこと探し」で彼なりの「人生エンジョイ」という見た目の立て看板を掲げて突き進む。
「野球人」としては
一流・小笠原 > 二流・新庄
しかし、「プロ野球人」としては
一流・新庄 > 二流・小笠原
この逆転現象が起こるのも、プロ野球ならではの面白さであり不思議さであり、ひとつの魅力なのかもしれない。
否、ほんとうに野球に精通している人は、上の不等式のほうがシックリ来るだろう。現に、サンデーモーニングで上原浩治氏は、このビッグボス就任について、我々のような大歓迎のリアクションではなく、
「う~ん・・・どうなんでしょうねぇ~」と、玉虫色的な表情をしていた。そりゃあ新庄さんよりも小笠原さんの方が上だもの。心底野球をやっている人間としては、実績ありきであり、これも「野球人」としてはいたって妥当なリアクションなのかもしれないし、清原は「OBはみんな快く思っていない」と、ひとり=みんなと表現し、もはやオバハンのような「妬み全開」でカッコ悪い。
しかし、国民の大多数は、それほど野球に精通しているワケでもなく、ショーやエンターテイメント大好きな民族。小笠原がヒットを量産するよりも、新庄がパフォーマンスをする方が見たいし、面白いものが見られることで一定の満足感を得られるもの。真剣勝負と大衆娯楽が共存する世界ならでは。
プロと素人は求めるものが違い、国民の大多数は「素人」。ゆえに市民権は素人にあり。面白いものが見たい。感動したい。笑いたい。楽しみたい。ゆえに、いま需要はビックボスにある。
「優勝なんて一切目指しません!」という衝撃の発言も、ファンが喜べば順位なんてどこだっていいという裏返し。そのくらい、ビックボスにとって野球とは「人生より豊かにする、人生に勝つための手段のひとつ」にすぎず、決して野球ありき、野球に勝つためではない。他の11球団の監督たちは、野球で勝つことを目標にチームを束ねるが、ビックボスだけは「人生に勝つ」こと。チームみんなで「人生に勝つ」こと。目指しているものが違うのだ。
だからファンにも「人生を豊かにするツール」としての野球を提供し、心から僕たちのショーを楽しんでもらい、元気と潤いをたくさん与えて、また球場に足を運んでもらう。それがビックボスにとっての「達成点」。
実はこの逆転現象。プロ野球だけでなく、競馬においても、人生においても、これに通ずる点が随所に散見され、挙行ありきのプロ野球という特殊な世界だけで通用する理屈とは必ずしも言い切れない側面があるのだが、さてさて、競馬のどこと共通しているのでしょうか??
これについては、明日のマイルCSのコラムで「解答編」として綴るとしましょう。これすなはち、この土曜コラム自体が明日のG1コラムの問題提起であり、巨大なる「フラグ」だったのです。よせばいいのに明日の下書きも10000文字越え!
・・つづく。
さて明日は、東京で2歳戦のG2があるのだけれど、どうしても勝負したい馬がコチラにいるので、昨年同様、阪神・アンドロメダSで勝負!
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