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わたしの好きな鬱映画ベストテン 

邦画編 【第1回】

わたしは暗い気分になる映画が好きです。それは代替行為で、現実の苦しみが映画の中にもあることを確認して、自分だけが憂鬱なのではないと納得するためです。わたしの好きなどん底の気分になる日本映画を10本、あげていこうと思います。順位は不同。すべて、長年支えてもらった大事な作品なので、順位などはつけられないです。暗さの中の神聖なもの、と言っても差し支えないほどに。

『東京暮色』 (1957年、監督:小津安二郎)

小津の中でも異色作である。初期には様々なタイプの映画を撮っていた小津は、トーキー以降に小津調とでもいうべき作風が出来上がっていった。娘が嫁にいくかいかないか。または老いた家族が亡くなって親戚が集まるといった話を、同じような顔触れの俳優が演じていた。基本的にはほがらかな家族ドラマで、ときにコミカルにもなるストーリーが中心だ。そして時代的に戦死者もいて、少なくなった戦後の家族の構成員から、年頃になった娘という一番華のある存在が嫁いでいなくなってしまう寂しさが、しんみりと漂う作品が小津のイメージだろう。
 
だが『東京暮色』は違う。まず、ほかのモノクロ作品と比べても画面が異様に暗い。陰の部分はつぶれてしまうほど黒ずみ、空も抜けることはなく常にグレーに染まっている。冒頭の数カットを見ただけで、いつもとのあまりに異なる色調に不安を覚える。そしてその通りに、この映画の物語もほかの作品群とひどく異なるものだ。本作は、毎年のように年間ベストテンの常連だった小津の作品では、例外的にひどく低評価を受け19位という結果に終わった。いつもの小津節とあまりに違いすぎて、この暗い輝きはまったく理解されなかったのだ。

設定の、父と娘の家庭という欠落のある構成は小津らしい。杉山周吉(笠智衆)は次女の明子(有馬稲子)と二人暮らしだ。だが長女の孝子(原節子)は収入の少ない学者肌の夫と折り合いが悪く、幼い娘を連れて実家に戻ってきている。
周吉の妻の喜久子(山田五十鈴)は戦時中、彼がソウルへ赴任中に、家に出入りしていた周吉の部下とデキてしまい出奔していた。
明子はアプレゲールで、悪い友人たちと付き合っている。その中の木村と恋人になって肉体関係を持った。しかし妊娠してしまい、それを打ち明けたとたん、木村は明子を避けて逃げ回るようになってしまった。明子は相談がしたくて木村を毎日探すが、仲間たちは事情を知りながらも、不都合な妊娠を笑い話にして非協力的だ。
明子は妊娠したことを、到底家族には打ち明けられなかった。大ごとにせず、こっそり処理したくて、知り合いの大人に事情の説明もせずお金の用立てを頼むが、それが周吉の耳に入ってしまう。夜はいつも帰りが遅く、理由もなく大金を必要としている娘に、周吉は説教をするが、明子は頑なに心を閉ざして何も言わない。
明子は木村を探して寄った五反田の雀荘で、彼女の名を知ったおかみに奇妙な関心を持たれた。明子はその話を姉にしながら、「わたしね、あの人、お母さんじゃないかと思うのよ」と打ち明ける。それは確かに戦後引き上げてきた母の喜久子で、駆け落ちした相手は大陸で亡くなり、今は違う男と所帯を持っていた。

明子が木村から「絶対行くから待ってて」と言われて、深夜まで待ちぼうけを食らうことになってしまうカフェ「エトアール」。ほかの客もこんな時間に深々とコーヒーを味わう老人、男を待つ水商売の女、小声で揉めているカップルなど、それぞれに不思議な背景を持ってこの店に居合わせている。ああ、都会だなと思う。みんなそれぞれにわけがあって、深夜に東京を徘徊していることが、少しだけ孤独から救われる。このシーンは竹中直人が『無能の人』で完全に再現していたのも懐かしい。
いつまで待っても木村は来ない。明子が彼の卑劣な態度に涙を浮かべていると、怪しい男に声をかけられる。それは刑事で、若い女性が深夜喫茶に出入りしているのを見咎めて、彼女は警察署に連行される。そこでも明子は刑事に無言で頑なな態度を取り続け、迎えに来た姉や、帰宅した後、烈火のごとく怒る父に対しても、沈黙で反抗する。

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