『心の壊し方日記』の諸々の経緯につきまして
昨年の発売より、色々とご意見をいただいている拙著『心の壊し方日記』について、ご説明をさせていただきたいと思います。
まず、本書はわたしの実家の問題を中心に描いており、兄の死と、母の認知症と介護、看取りが基本のテーマとなっております。そのなかでわたしが精神的に疲弊し、悪化していったうつ病の症状なども描写しています。
後半で、わたしが「映画秘宝」DM恫喝事件を受け、SNSで軽率な発言をしてしまう場面があります。そのためネットで炎上が起こり、大勢の方々からの批判や中傷の言葉に衝撃を受けてしまい、うつ病もあり発作的に自殺未遂を図ったくだりが登場します。
書籍内でも、炎上による第三者からの非難や誹謗中傷が、自殺未遂の原因であると記述しております。DM事件は発端の説明に不可欠であったため記した部分であり、自殺未遂の原因といった記述や事実はございません。改めて、DM事件の被害者の方には一切責任はないと、ご安心いただきたいと思います。
本書については、「許可取りがされていない」ことが問題視され、大変非難を受けている状況です。言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、その経緯をどうかご説明させてください。
エッセイの慣習として、許可取りが必要な場合とそうでない場合があります。おもに言及の量や内容に拠るかと思います。
この本についてご理解いただきたいのは、書籍内でのDM事件への言及量が少ないこと、事件自体がネット上で広く知られていたこと、わたしの釈明やお詫びのツイートも含めて、既出の情報の記述であることから、許可取りは不要と判断しました。エッセイにおいてこういった判断は、通常のことかと思います。
左右社の担当編集者以外にも、事情を知っている他社の編集者にも確認してもらい、同様の判断を受けました。また、念のため弁護士にも拙著を通読してもらい、名誉棄損やプライバシーの侵害など、問題と思われる部分がないかを確認してもらいましたが、許可取りの件も含め、問題はないだろうとの判断を受けました。
納得のいかれない方も多いかもしれませんが、出版の通例に則った形であることは、どうぞご理解ください。
ただ、それは慣習の話であり、本の発売にあたって、「被害者の方の感情」を損なってはいけないと感じておりました。DM事件の件でわたしは被害者の方を傷つけてしまっていました。そのため、本が発売となる旨を事前にお伝えしたいと思っておりました。
自殺未遂をしていたことを、本の発売で知るのは非常にショックを与えるだろうと思い、そのような残酷で、失礼なことがあってはいけないと非常に気に病んでいました。
わたしがTwitterのアカウントを消した当日が、まさにそれを伝えようとした日でした。
被害者の方にツイートで「DMをお送りしてもいいですか?」とお尋ねしたところ、いただいたお返事は「いやです。送って来たら晒します」というものでした。DM事件で不安や恐怖を経験されたのだから、当然警戒され、防衛の気持ちや姿勢は起こるでしょう。この点も、被害者の方にとっては自然な反応です。
しかし本の出版はまだ随分先で、メールを晒され情報が漏えいするには早すぎる時期でした。そのため、お伝えするのを断念してしまいました。わたしは非常に落胆し、精神的にも不安定な状態であったため、発作的にtwitterのアカウントを削除してしまいました。
これはわたしの甘えであり、忍耐力に欠けた、非常に不誠実な態度でした。情報解禁前でも、やはりご連絡をすべきでした。伝える努力を続けなかったのは、被害者の方への思いやりが足りなかったためです。そのことでも再び被害者の方には驚きや精神的苦痛を与えてしまい、大変申しわけないことを致しました。改めて深くお詫び致します。
エッセイにつきましては、あくまで主観によるものです。ルポルタージュならば、複数の関係者にインタビューをし、客観的真実を炙り出すという作業になりますが、本書はわたしの目を通して見えた真実を記したエッセイです。
異論のある方もいらっしゃると思いますが、わたしにとってはこの本に記したことが事実でした。他の方から見た事実や記憶と異なる部分もあるかと思います。これは人それぞれの立場の違いや、考え方にも左右されると思います。
わたしにとっては、書くことで自殺未遂の経緯を客観的に振り返ることが、どうしても必要な行為でした。書籍に書くことを反対する声もありましたが、過去の自分として突き放して、前に進むためには形にせずにはいられませんでした。
エッセイというものが、そういった特質のものだとご理解いただけるとありがたいです。
最後に、わたしからの声明が大変遅れてしまい、誠に申し訳ございませんでした。周囲から激しく反対され、説明をすることができずにおりました。いま、この文章を発表するのはわたしの独断によるものです。周囲のわたしを案じている皆さんに対しては、無断で勝手なことをしてしまい申し訳なく思っています。
ただ周囲のそれは、わたしのために「前向きになれ」と声をかけてくれたもので、善意からの言葉です。厳しい友人には、この文章を出すことは、「自分可愛さだ」と見放されるかもしれません。そのことを思うと、我慢できない自分を心苦しく感じます。このような言い訳がましい釈明を発表することを、お許し願えればと思っております。
2023年1月22日 真魚八重子