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#0021 年をとったゴリラとほぼ一緒

すご面白いというか、ぎりぎりでもなくて、まさに正面きった、女子と女子の対談。

「いや、それは痛いわ。怖いやばい、やめな。」と言ってくれる声は大事で、私も友達も出来るだけ正直にそこは言われ言うようにしている。それでもしたいんだ!好きなんだ!と言うスタンスも大事にしている。え、ほんと?ちょっとやめとくわ、危なかったわーって素直に受け止めることも大事にしている。そういうのを、数か月に1回、幼馴染としてる。相互チェック。

本文の中で、伊藤まさこが「汚いものになりたくない」と言っているが、40過ぎのころ、実家でスリップ姿で寝てた時に、親にやめてと言われたことを、まだ少し「でもスリップかわいいし、自分からは見えないし、いいんじゃないか」と押し通したい言葉を、大久保さんが「想像したらおぞましい。40すぎの娘のそれはきついですよ、ほんとに。」と真面目に答え、はては伊藤まさこも「嫌ですよねえ」という流れ。 これ。

同じ職場、同じ趣味の仲間、柔らかい優しい関係の中にいると、麻痺してしまうことが多々あって、いやもう、いつまでも永遠それでいい、素敵でいればいい!みたいなぬるま湯みたいなものが、私は本当に怖い。

大久保さんのいってるように、汚いものとか清潔感云々の前に、まずは、まともでありたい。そのスタイル「おぞましくて、妖怪」だろ!という自分への客観的視点を。ほんとに真摯に、いつでも年相応でいたい。

伊藤 そうですよねえ。でも、それを恐れて、いつでも逃げられるようなスタイルでいたら、逆に地震が起こるんじゃないかと、ジンクス的に思っていて、頑なにスリップを着ているんです。
大久保 そんな力はないから大丈夫(笑)。
伊藤さんひとりのスリップで、首都圏直下型地震は防げない。
伊藤 ほんとですよね!  

↑ 伊藤さん気づく!なんだろ、素敵な雑誌や書籍で読むと、さもやと思われ気にも留めず、なんなら素敵なことを書いているように通り過ぎていく言葉が、この対談だと、「いやもう、ちょっと何頭おかしいこと言っているのだ?」と明文化されますよね。でもこの、責めるでもなく、地に足付いた感じになってるのが、すごく好きだ。

地殻変動と自分のかわいいものが結びつくはずがないと、普通に生きていればわかるのに、わからなくなるのが、本当の怖さではないかと思う。

スリップを着ることを地殻変動やジンクスと結び付けないといけなくなれば、かわいいは歪む。ならば、着た体がエロく見えて気分が昂まるから好きだとの方が、理由がかわいい。

だから結局、昔っからの友達とか、なんでもあけすけなく話せる関係の人て、ほんとに大事だよなぁと思った。特に東京に生きてると。

地元の友達と会って話すと、若干東京で話してるコト、熱量おびてることとか、その机上っぷりに、恥ずかしくなることある(笑) 

ここでは、うんうん。になることが、そこでは、え?何の話?になる。

かわいい。というワードはほんと、いかようにも使えて、心からのかわいいは、どうしたって大事だ。でも、安易なかわいいーとか、自分が好かれるための人にかわいい提供甘さはやめとかなきゃ。それは変化球レベルのブーメランになっていつか自分を破壊するぞと。かわいい、だがもうそろそろだ。とか、それはいける、それはスタイルとしていけるとか、正直さの上での、なんの損得もない関係はかなり大事。むしろこっちが優しさ。だろ?

その感覚を忘れたくないっていったら、またアイタタタって感じだけども、まぁ妙齢、バランスのとりにくい年齢だからこそ、上手にバランス取っていきたいよねってことで、今年もお盆には帰って、山とヤンキー文化の中をたっぷり泳いで、愛のあるディスリあげの攻防を繰り広げ、精進。

☺︎今日も総じていい一日だったなと思えたこと

名言もらった。

「自分なんてもう、ほんとに年をとったゴリラと
 ほぼ一緒だって思って生きていかないと(笑)」

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