『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』
恵比寿ガーデンシネマまでのんびり歩いていって、グザヴィエ・ドラン監督『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』を鑑賞。グザヴィエ・ドランはずっと自らのセクシャリティと母との関係性を描いてきた監督だが、今作でもそれはテーマになっている。監督自身が幼少期にレオナルド・ディカプリオに手紙を送ったという体験から生み出された今作は、『ゲーム・オブ・スローンズ』で有名になったキット・ハリントンが有名スター俳優のジョン・F・ドノヴァンを演じ、彼と秘密の文通をしている少年・ルパートの交流と、ジョンが29歳の若さで死んでから10年後に俳優となって注目されるようになった現在のルパートとのパートが行き来する展開になっている。
物語で描かれている少年時代のルパートの子役などの体験等は当のドラン監督と同じであり、創作作品だがかなりドラン自身の経験が活かされているのだろう。ジョン・F・ドノヴァンには幼少期に憧れたスターであるディカプリオを反映されながらも、彼のセクシャリティはドラン自身を投影しているのだろう。
少年時代のルパートと亡くなるまでのジョン・F・ドノヴァンにグザヴィエ・ドラン のアイデンティティが分化されてキャラクターが作られているはずであり、二人とも母親との葛藤や関係性が難しいものとなっている。映画の中ではそれらはエンディング近くで解消されていくが、実際のドランがどうなのかは知らない。
ひとりの創作者が作り続けるものは、主題は基本的には一つか二つぐらいだと思う。それが中心にあって大きな柱のように空に向かって伸びていて、地中深くにも伸びている。柱≒主題の周りにある螺旋階段を登るか降るのかしかできない。進化することが上に向かっていくことなのか、深化するために下に向かっていくことなのか、はわからない。ただ、ドラン監督にとってのテーマのひとつは母との関係性であり、そのことは描き続けていくだろう。きっとそれしかできないし、それをつくるために彼は映画を撮り続けるはずだから。
↑『2010s』著者の田中宗一郎さんと宇野維正さんの刊行トークイベントがABCで開催された際に、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』試写を観てきたという宇野さんが言われていたことを思い出した。
宇野維正さんが、この映画の主演であるキット・ハリントンが演じるスター、人気俳優という役どころも『ゲーム・オブ・スローンズ』を観ているという前提で作られているという話をされていた。これから先はハイコンテクストでなくても、10年代に世界中でヒットしたものがある種前提に、基礎教養になってきて、『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ブレイキング・バッド』や『ストレンジャー・シングス』や『MCU』シリーズなんかがそれにあたるようになるという話だった。