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『ジョジョ・ラビット』

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『ジョジョ・ラビット』をシネクイントにて鑑賞。
ナチに憧れる少年ジョジョ、彼にしか見えないイマジナリーフレンズのようなヒトラー。父は戦地へ、母は戦争を憎んでいる。姉は数年前に死んでいる。ある日、姉の部屋から音がして壁の奥の空間にナチから逃げてきた少女・エルサに出会う。母が少女を匿っていることを知るが、それがバレれば少女だけではなく母も処刑されてしまう。少年と少女の秘密のやり取りが始まり、戦局は終盤に差し掛かろうとしていた。


ボーイ・ミーツ・ガールものとしてすごくいい作品だし、やっぱり観ながら宮崎駿作品とか浮かんできた。日本を代表するイマジナリーフレンズならトトロだし、戦争でジブリ宮崎作品で考えたら『風立ちぬ』だろう。
前衛集団マヴォとかにいた人のデザインとかイラストに幼少期に宮崎駿は影響受けてるから、戦闘機のフォルムにフェティッシュは感じるから描くけど、戦争は描けないし興味がない。そこが高畑勲監督とやっぱ違うんだろうけど。
宇野常寛さんの『母性のディストピア』で書かれていたけど、宮崎作品の男の子はヒロインと一緒にいる時にしか飛べない。呪いで豚にされてたら飛行機で飛べるけど。

少女を救う展開なのにその少女に庇護されないと自然の摂理の外側には出れないし、その飛行空間はやはり彼女たちの母胎でしかない。だから、少年と少女は対等ではなく、少年は母性へ依存し守られ続けるのに、彼らが大人になるとまるで男性が女性を守っているような誤認をして家父長制が正しいと思い続ける。宮崎さんの弟子筋の庵野さんが描くヱヴァンゲリヲンでもシンジは母の母胎を模した人造人間に乗り込む。日本人男子は処女を崇拝しながら凌辱し、母胎に守られていたいんですね、そりゃマザコンでロリコンになりますわな。
かつての金曜ロードショーはジブリ枠、それがヱヴァンゲリヲンに変わった何十年の間それを見続けてる人たちに無意識に植えつけられたそれらが今のさまざまなフェミニズムにおける問題と無関係ではないと思う。


『ジョジョ・ラビット』はある意味で洗脳から抜け出す物語だ。ナチを崇拝する少年がユダヤ人少女と出会うことで、当たり前だと言われていたことに疑問を抱き、新しい世界へのドアを開ける成長譚だった。脚本のテンポもいいし、映像の見せ方がいい。
まさかキャプテンK(サム・ロックウェル)に号泣させられるとは、あんなもん誰でも気づいたら泣いてるわ。母親(スカーレット・ヨハンソン)のあるシーンも説明しない撮り方でダサい人はあれ説明してしまう。
あと冒頭近くの少年兵候補たちに紙の本を燃やさせるところとかね。本はただの言葉じゃなく関わった人たちの歴史であり、人間そのもの。だから、本を焼いたり機密文書を廃棄するものたちが人権なんか守るわけないんだよ。
ジョジョもエルサもドイツ人とユダヤ人ではなく、ただの個人として向き合った。ジョジョは向き合えるようになっていった。あたたかい大人たちに見守られながら、自分で考えて洗脳から抜け出した。


いろんな問題があるけど、近代化したフリして敗戦したのに個人よりも集団を優先する、個人や人権を軽く見続けた膿が出まくってるだけで。まともな教育してきてないから無理だよね。会社に入るための機関として何十年大学は成り立ってるんだから。
安倍政権はただ今の僕らの愚かさのキャラクター化だよね。
SNSのアイコンが漫画、アニメなんかのキャラクター使う五十代とかがネトウヨになりやすいとかも、もう手遅れだけど。こういう作品観てもなんも感じないなら、お前らが影響受けた作品は負の遺産だよって感じかな。
今の時代がおかしいと思わない人は観てもなんにも思わないかもしれない、おかしいと思う人にはオススメ。

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